今日(7/9)の朝日新聞に瀬戸内寂聴が、子どものころの自分の容姿に悩む話が書いてある。それを解消してくれたのが母親の次の言葉。
《はあちゃんは、色が黒くても、お鼻が低くても大丈夫なんよ、仏さんが人よりいい頭をくださってるんよ、母さんは信じてる。はあちゃんは、きっと、きっと、大きくなったら、小説家になって、吉屋信子のようになる。……》
そうだ、こうやって子どもは「自我」に目覚めるのだ。他の子どもたちや周りの大人のことばに触発されて、他の人との違いに気付く。それは、「自分」を発見することである。
容姿もあれば、振る舞いもある。言葉遣いも、周りへの心配りも、何から何まで、他人との違いからはじまる。しかし「自分」のことであるから、人にはいえない。褒められるからとか、良く思われたいというのは、もっとも後にくっ付いてくること。当人にとっては、たとえば校舎の階段の最後を上がるときに大きく一歩を踏み出す同級生の、その踏み出し方に(気持ちを)撃たれることもある。それを真似するが、誰も気づかない。でも、それでいいのだ。あとで、その同級生に対する自分の敬意があったからと気づいても、障りはない。
瀬戸内の上記の話が何歳のことなのかわからないが、たぶん、小学校の中学年のころのことではないか。高学年になると、(たいてい)すでに自我はかたちを為し、周囲との力関係も、はっきりと見え始めていると、わが身の経験から思っている。
それで思い出した。高杉良の『めぐみ園の夏』(新潮社、2017年)は、作家・高杉良の自伝的作品。親の離婚騒動によって孤児園に預けられた自身の1年半ほどの出来事を記しているのだが、抜きんでて頭の良かったことが、彼を見舞った不運にめげずに、自身を支えていたと読み取れる。
瀬戸内寂聴は、母親にそういわれたことが支えになってその後の彼女の生き方を貫くことができたと言いたかったのかもしれない。少なくとも、容姿に恵まれなかった劣等感を払拭するくらいの効用はあったとみている。
高杉良のそれは、もっと具体的に頭脳が明晰であったことが彼の生きる「武器」となり、子どもたちの群れの中で鬱屈を抱えず生きることのできた幸運のように描かれている。もっとも高杉は、それを「幸運」と思っているわけではなさそうだ。頭が良かったこと、言葉が達者だったこと、人の考えを察知し、それに対応する手立てをとることができたこと。つまり、頭がいいということは、人の社会を生き抜くうえで、こよなく役に立つ「武器」だということである。
学校というのが実は、学力的才能を、同級生や同学年生ばかりでなく、世の中に位置づけて示してくれる装置である。それにまつわる大人の毀誉褒貶も表面化しやすい。自我に目覚めた子どもたちは、その大人の評価を軸として受け止め、同調したり反撥したり回避したりして、ますます偏る「自分」をかたちにして成長していく。紆余曲折もある。高杉良は、母親譲りで身に付いた文章力を「武器」として意識して、高校中退で世の中に乗り出していった。
彼は昭和14年、太平洋戦前生まれの戦後育ち。私と3つしか違わないから、彼の辿った形跡を取り囲む時代的社会環境は、(首都圏と地方というギャップはあったにせよ)私が感じるところとそう違わない。私の育った岡山県の高校は小学区制であったから、玉野市内にひとつの高校しかなかった。だから余計痛切に記憶しているのだが、中学校の同級生で高校へ進学した者はおおよそ50%、15%は三井造船所お抱えの定時制高校であった。経済的に貧しいがために中卒で働く中学の同級生もいたから、高校に合格した私は、申しわけないと思いながら通った覚えがある。
東洋経済onlineは、高杉良の自伝『破天荒』の評を、学歴にめげず取材と創作を続けた高杉を驚きの目で記している。会社の上司が「高校中退」と履歴書にあるのを見て、「高校卒」と書き換えさせたというのも、驚くことではない。そういう意味では、「才能」は世に満ち溢れ、世の中は多様などと言わずとも多様多彩であることは世の常識でもあった。画一的に「学力」で人を評価するのとも違い、学歴にこだわらない人の見極め方も通用した。融通無碍の、人を見る目の幅が広く深い時代であったともいえる。
因みに、「学力」が画一的に論じられ、それが世の中の多数派に、はっきりとなって行ったのは、1970年代のオイルショック後のことであった。「金の卵」がぱったりと姿を消したことを契機としてとらえるのが、時代相の移り変わりをみるうえで正確だと思っている。
人を見る目が変わることは、人の心もちを支える支点が変わることもである。「学力主義」といってもいいほど、痩せ細った学力が模擬試験の判断されるようになり、それもさらに細かく、採点者の主観が入らないように機械的な「正誤」のつく採点が持ち上げられ、そのようにして「人間要素」がぼろぼろと抜け落ちていった。瀬戸内や高杉の自我形成とその後の径庭をみると、大きな時代的懸隔が見てとれるように感じる。
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