一昨日(7/21)から始まっているらしい五輪の競技種目。ソフトボールの第2戦をやっていた。朝、秋ヶ瀬公園へ出かけちょっと散歩をし、ついでに買い物をして帰ってきたら、TVでメキシコ戦をやっていた。第一戦のオーストラリア戦ではホームラン3本、コールド勝ちを収めたという。一番最初に五輪空気を日本に持ち込んだオーストラリアに、それもコールド勝ちなんて、とんでもない「お・も・て・な・し」だ。日本は何やってんだと思った。
やはり昨日(7/22)も試合があって、カナダチームに敗北を喫しているメキシコ相手だという。メキシコは強いはず。どんなものかと観ていたら、いや、なかなかの接戦。ソフトボールはコンパクトでいい。野球と違って7回というのも、ほどよい感じ。無観客というのが、これまた、昔私たちがやった草野球や草ソフトのようで、趣がある。ただ、スピードが違う。いや凄いね。コンパクトに当てるだけでフェンスを越えるというのも、外野がライナー性の当たりをエラーするというのも、たぶん球の速さが違うからだろう。延長戦を、無死二塁走者からはじめるというのも、捕手が塁に出たときには、その前のアウトになった打者が走者を代わって試合時間を短縮するってのも、今年から高校野球に採用されているそうだが、面白い。スクイズもどきでサヨナラというのも、みている私が監督ならそうするなというTV観客の没入感が当たって、ほくほくとしていた。
そうして思うのだが、ソフトボールの国際大会なんて、まずやらない。メディアも取り上げないから、先ず観られない。そういう競技が、オリンピックというのでわんさと観ることができる。メディアも、五輪の冠がついているから、堂々と放映できる。まして自国開催となると放映せざるべからずとなるNHKだ。無観客というのが、さわやかで気持ちがいい。
何よりメキシコチームのベンチの選手たちが、コロナ禍というのに、女子高校生のように声を立て、飛び上がってはしゃいでいるのが、なんとも微笑ましい。
「世界の平和」とか「復興五輪」なんて言わなくていいから、「滅多にみられないスポーツ競技をTVで堪能してください」と自国開催の宰相がいえば、国内的にはなるほどそれで十分、と腑に落ちるのにと思った。
女子サッカーも、男子サッカーも、攻めあぐねてはいるが、見事なパス回しの業が(男女で大きな差はあるが)腕達者じゃなくて足達者な相手と比して遜色ないのも、ホームのせいだろうか。相手チームが、コロナ感染(させてはまずい)で遠慮しているのかと思うほど控え目。そうだ日本は、こういう控え目ってのにすぐ同調共感してしまうのだと、わが身を振り返ってスポーツらしからぬことを思う。
とすると、やっぱり事前合宿で日本各地に滞在して、事前練習をみせ交流するってのが、五輪の国民的というか、開催地・東京だけでない楽しみってものではなかったか。つまり、バブルで「一般の国民生活と切り離す」って所業が、そもそもの五輪精神に悖る。当然来日する人たちも、閉じ込められて心地よいわけではない。まして、感染の多さが、けた違いの日本。何をビクビクしてんのよと(外国人選手たちは)思うから、主催者側のプレーブックの趣旨に沿おうなんて思ってもいない。そもそも選手村は窮屈だからホテルに泊まるわというアメリカのチームの勝手な振る舞いに「国外退去命令」を出したりしたら、面白いのにと思う。だが、それはまた「別件逮捕」というか、安保に関する意趣返しって感触のことだから、場外乱闘になるか。
情報化社会。コロナ禍の五輪。人々の受け止め方もすっかり変わってきている。にもかかわらず、主催する権限を持った人たちは、昔日の栄光イメージだけで振る舞うから、ズレが大きくなってしまう。虚飾に満ちた言葉だけが行き交って、ますます権限を持った人たちが空疎に見える。これって権威の失墜だよね。世の中に対する失望感が身の裡に沈着する。
皮肉にもアスリートの競技中の一瞬の姿が、空疎さをけ破って、さわやかに感じられるのかもしれない。ま、外野の年寄りの目には、五輪協奏曲がそのように響いてくる。
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