皆野の病院を退院後、リハビリに通い始めて2ヶ月が過ぎる。リハビリ治療の方針がどう決められているか、手順的なことしか、私にはわからない。ひと月に一度、医師の診察を受け、「リハビリテーション総合実施計画書」を医師がつくり、患者である私が署名する。だがそれには、「中心性頚髄損傷」という、4月に受けた診断名と同じ「原因疾患」が記載されていて、「痛みの改善」と詳細が記されている。
診察室の上階にしつらえられたリハビリ室には、患部を温める場所と、マッサージを受けるベッドを置いた場所が区画されてある。6、7名のリハビリ士がいて、私を担当するリハビリ士が誰と決まっているわけではない。毎回違った人に当たることが多い。もちろんもう2カ月も経過するから、二度三度と当たる方もいるが、たまたま遭遇するという程度に、偶然に担当者となる。
はじめての担当者はたいてい、「どこが一番つらいですか」と訊く。私の右肩とか、頸椎の変形ということも知らない。その都度私は、肩が張るとか、右腕の付け根が二の腕に掛けてピリピリするとか、首が回らないとか、腕がこの程度上がるようになったと、最初のころの症状を付け加えて説明する。
リハビリ士は、それを聞いて、俯せにさせ、あるいは横向きにさせて、首から背骨に沿ってほぐしてゆくこともあれば、首筋から右肩にかけての要所を押さえて行きながら、何かを探るように黙々とマッサージしてゆく。肩甲骨が硬いですねと言ってほぐす。首筋が固まっているとも告げて、要所を触りながらほぐしていく。それが実に見事で、神経の経絡をきっちりたどるように進行するから、文句なくわが身の固まっているところがほぐれていくように感じられる。ひとわたり作業が終わるとわが身はものの見事のほぐれて、楽になっている。
リハビリ士が、私の躰のツボに指をあて、掌を押し付け、どうほぐしているのを感じ取っているのかわからないが、彼の指先にあたかも目があるかのようにツボを辿り、押さえの深まり具合がわかるかのように、きっちりと痛みを感じる寸前まで押さえていく。毎回私が訴える「症状」が変わると、それに応じた経絡を探るように辿っているのが、押さえられている私には、不思議に感じられる。こういうのを専門家の腕というのかと、毎回感心している。
二か月前と比べると、右腕の上がる位置は、格段に良くなった。はじめ臍くらいだったのが胸くらいになり、目の高さまで上がるようになり、いまは頭の上へも上がることは上がるようになった。ただ、左腕が上がるのと違って、肩の端っこがぴょんと飛び出すように、一緒にせりあがる。使っている筋肉が違うように思う。横から上げると肩の高さしか上がらないから、肩甲骨の硬さに起因する何かがあるのかもしれない。でも4月に較べて右腕の付け根が痛むことは少なくなった。
自分の躰でありながら、いつも不思議に思うのは、神経系にせよ筋肉系の動きにせよ、体というのは本当に絶妙にできている。これが36億年という生命の歩んできた結果と考えると、枝分かれしたり、死に絶えてしまったほかの生命体も含めて、よくぞ生き延びてきたものだと感心する。当然、誰にともなく、感謝したい心持ちが湧き起る。
果たして、6カ月で元に戻れるかどうかは、わからない。だが、なんとかそこそこ動く体に戻れるよう、上手に使い続けなければならない。
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