「最近老いることとか死ぬこととかを考えていて、「葬る」というのは「はぶる」と読まれていたことを知った」と8年前(2013年)に記している。
大野晋の『古典基礎語辞典』によると、
《「ハブル」(放る)と同根。昔は死者を野に放ち捨てたことから、「葬」のこともハブルといったか。》
とある。
そうか、葬るというとすぐに埋葬を思い浮かべていたが、そうではなく野に放ち捨てたのか。そういえば、芥川龍之介の「羅生門」には山門に打ち捨てられた死体の山が登場していた。あれは、疫病や飢饉によってあまりに多数の死者がでたことによって、埋葬されない人々が多数あったのだと思っていたが、ひょっとすると、そもそも埋葬などということは品位の高い人たちの葬り方であって、ふつうの庶民は、野や山に捨てられていたのかもしれない。
むろん誰もがどこにでも捨てたわけではなく、人郷から離れた「あだし野」であったに相違なく、そこが「不浄の地」とされるようになったのかもしれない。浄不浄の源泉がそういったところにあったとみると、腑に落ちることもある。野ざらしであってみれば、生きているあいだの様と死んでから日々に変わってくる様とは、目に見えて人生のはかなさを象徴するようにみえる。浄土真宗の「白骨の御文章」ではないが、「朝に紅顔なるとも夕べに白骨となるともしれず」である。
そう考えると、姥捨ての話が急にリアリティをもって迫ってくる。深沢七郎の『楢山節考』のおりんばあさんが背負われていく先は、まさにその「あだし野」であったはずだ。村の現世からあだし野への道行は掟によって定められ、老母の捨身によってはかられていたのであった。
その処が忌み嫌われるようになったと考えれば、安倍清明ならずとも、そこに結界の印をおいて、邪気がその外部に災いをもたらさないようにと封印する習わしが行われても不思議ではない。それをマジナイという意味合いを込めて呪術と呼ぶのは、ひょっとしたら後知恵のそしりである。迷信ではなく、現実に目の前にして恐怖を感じる生者の祈りを込めた災厄の忌避、つまり、真剣な生者と死霊のたたかいであったろう。たしか古事記のイザナギノミコトが黄泉の国のイザナミノミコトのもとから逃げ帰るときに、黄泉の国と現世との境目になる何とかの比良坂というところに石を置いたとかいっていなかったか。あれこそが結界の印。とすると、墓石というのも、向こうとこっちとの結界の印であって、そういう往還がかたちをもって象徴されたのだと言えようか。
あの世が忌み嫌われる汚穢の世界だ考えるのは、野ざらしの死後の世界が腐り朽ちていく目前の事実からはじまっている。死んだ後の世界が穢れているのではない。死者を目前に置く現世のことを穢れている、とみているのだ。
「穢れ」は生者の陰である。生きるということ自体が、生きるモノを食らい消化し排泄するように、それ自体に陰を組み込んで成り立ちえている事象なのだ。それを忌まわしいとして忌避するのは、生きることの肯定的側面のみによって「生きること」を考えようとするわがまま至極な所業だと言わねばならない。「わがまま」というのは、片方の側面のみにてすべてを語りつくそうとする暴力性を指している。
逆に、「肉体」が朽ち果てていくがゆえに、切り離されて考えられる「魂」が純粋化されて昇華されるのだとしたら、「魂」それ自体がやはり陰としての部分を切り捨てて語られていることを明かしている。「散華」というのも、汚穢から解き放たれた姿だというのであれば、それはそれで新しいステージを迎えるといえるのかもしれない。そのステージが「無」や「空」の世界であっても、だ。
そんなことを考えながら、晴れ渡った梅雨の一日を過ごしている。
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