2021年7月25日日曜日

36会第二期第12回seminar(1)開催さる

  7月24日(土)の新橋駅そばの「鳥取岡山アンテナショップ・ももてなし家」で、1年半ぶりの36会seminarが開催された。去年(2020年)1月に、ハマダさんが「日本の防衛という問題」でSeminarを行って以来、新型コロナウィルスのせいで延び延びになっていたSeminarである。後期高齢者の皆さんのワクチン接種が2回完了したことで、憚りなく開催できることになった。

 30分前にはすでに講師のイセキさんはプロジェクターのチェックを済ませて、レストランの方でミヤケさんと話をしている。サトウさんがやってきて、お店の方も会場を開けてくれ、そちらへ場所を移した。

 長いテーブルが二列向かい合わせにして、ふた筋、アクリル板を中央において並び、椅子が間を十分おいて13席、ある。部屋の長辺の角にプロジェクターの映写スクリーンが置かれ、すでにパソコンと繋げられて、画面がうまく映るように調整している。やがて、フミノさんがやてきて、プロジェクターの下に台座を起き、スクリーンの画面が正確に方形になるように微調整をしている。いつしかミスズさんとツチヤさんがやってきて、おしゃべりをしている。オオヤナギさんがイセキさんやフミノさんと挨拶を交わしている。おっ、フジワラくんがその脇にいる。いつもながら静かな登場だ。

 ハマダくんとキミコさんが席につき、事務局のフジタが久々の再会のご挨拶をして開会した。


 イセキさんの話の冒頭では、「11月に大望を患い、いま体重も60kgをキープしている」と始まった。これにはちょっと補足が必要か。彼は去年(2020年)11月1日、心臓発作に襲われて入院、手術をし、12月に退院。今年の3月にseminar再会を計画したときに体調を問い合わせたら、次のような返信があった。


「12月はじめに退院して2ヶ月半になります。未だ体力は100%ではありませんが、少しずつ戻っています。36会の再開は3月末でしょうか。楽しみです。」


 しかし3月の開催は、コロナウィルスの勢いが収まらず中止。5月の岡山で予定されていた「36年卒全体同窓会」も、さらに1年延期となって、やっとこの7月seminarの開催にこぎつけたというわけであった。いうまでもないが、コロナワクチンの接種が高齢者である私たちはすでに完了しているということで、めでたく開催の運びとなった。


 さて、今日のお題は、「鉄の鋳物の話」。

 イセキさんが仕事にしてきた鋳鉄が、どのように行われるのか。それが日本産業にどのような位置を締めているか、どう変遷してきたか、目下どういう状況にあるかを、図や絵やグラフや写真、動画をつけたシートにして表示しながら、説明を加えていく。彼自身の行ってきた鋳物のコンサルタントや鋳物に関する教育用資料から取り入れたという。なにしろ、鋳物ということに全くの素人の私たちだから、イロハからの説明は、なかなか興味深い。要するに、金属を溶かして型に流し込み、使用目的に使えるように整形していく技術と言える。銅、鉄、アルミや亜鉛も整形されるというから、近代産業j技術のベーシックな分野を担っている。

 と言って、話が教科書的に一直線に進みはしない。そういうところが、seminarの魅力的なところだ。

 途中に挟まれたトピックのひとつは「洋上風力発電」。デンマークの造船会社が倒産して、そこを風力発電に切り替えた。今は中国が風力発電に力を入れ、世界一のになっている、と。この話は、9月に予定のseminarで「原子力発電」の新しい技術を紹介することにしているから、再生可能エネルギーとカーボンニュートラルという側面で、この話は関わってくる。無論、今回は深入りはしていない。でもなぜ、こんな話に? 三井造船の町と言ってもいいほど私たちの育った街は造船に親しんできた。たとえそれがデンマークであっても、造船会社の盛衰は共通の関心事なのだ。


 鋳物の歴史は紀元前4千年くらいからになるらしい。鋳物は隕石と同じというのも、面白い。今風に言えば、レアメタルってわけだ。メソポタミアとしては、そのレアメタルを武器として使ったらしい。それがどう伝わったかはわからないが、中国経由で日本に伝わってきたらしいとイセキさんは言う。日本列島においてヤマトが強かったのは鉄を溶かす技術を持っていたからと言われている。興味深かったのは、金属の溶怪技術が、日本では武器としてよりも、農機具を作ることにつかわれたということ。これまでは青銅器などの発見が行われ、それと朝鮮半島との関係が考古学会では始終取り沙汰されている。イセキさんも、しかし、朝鮮半島にその鋳物の金属溶融技術があったということはわかっていないと疑問を残している。

 鳥取県とか島根県の古墳や遺跡の発掘でも、そういう論議が取り交わされているが、考古学者たちは、農耕器具という次元ではどう考えてきたのか。岡目八目、素人のやり取りが案外本質に近いってこともあると感じた。(つづく。文中のカタカナ名はすべて仮名です)

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