山での事故があってほぼ半年、通っているリハビリも一区切り付け、ペースを落として良いと医師の診たてが出た。これまで週4回通っていたリハビリも2回にする。月、木と曜日を決めた。と、早速11日は「スポーツの日」、祝日。
今週は火、木かと呟いたら、カミサンが「祝日がなくなっていた神の留守」と、何やら川柳を読み上げる。
なんだ、それ?
11日は祝日じゃないのよ。
だって、ほらっ、カレンダー観てごらんよ。11日はスポーツの日だよ。
ハハハ、どこいっちゃんでしょうね、スポーツの日。オリンピックに吸収されちゃったみたいよ。
オリンピックに合わせて、祝日を集中して盛り上げようという算段をしたんでしょう、政府が。でもそれが決まるのが遅いから、カレンダー業者が間に合わなかったってこと、とカミサンの説明が続いた。
このご都合主義、これが私たちの心持ちから時間的な堆積性・継承性を奪っていくんだと思った。
10月10日は、体育の日であった。東京オリンピックの開会式があってから祝日となった。ところが、いつからだったか忘れたが、それが、十月の第二日曜日になった。なんでも、連休にした方が、人々が遊びに行く,観光業などの経済効果があってよいと、(たぶん)どこかのシンクタンクが言い出して、政府が乗っかったんだね。
バカだねえ、戦前開かれることになっていたのを戦争でおじゃんにしておいて、戦後やっと復興して「悲願のオリンピック開催」と喜んで祝日にした記念日じゃないか。それを、目先の経済効果を当て込んで替えてしまうなんて、この国の操縦をしている人たちの視界が近視眼的になり、現在が過去の堆積の上に成り立っていることをゴミのように扱っている。そのとき私は、そうみていた。
今回,コロナ・オリンピックになるからと、10月から7月へ大幅に引っ越してしまうなんて、こんなの祝日じゃないよ。ただの、欲望むき出しの便宜主義だよ。恥ずかしくないのか。
これで見込む「経済効果」ってのが、今回オリンピックの本質ってところだ、とも思った。つまり、オリンピックは観光客を呼び込むための方便。日本の経済成長の夢よ再び路線。競技をするアスリートやそれに刺激を受けて文化的な豊潤へと向かう国民は,二の次。やだお金を支払ってくれる対象としか見られていない。
たぶん、ここ、つまり、オリンピックがスポーツの祭典であり国際交流であるというのは、じつは、開催国の国民の、ひいては人類の暮らしの豊かさを象徴することであるとみるのではなく、これを集金箱の最良の方法と考えている人たちが、主催者だったってこと。それを証明したようなことだよね。
「神の留守」とは言い得て妙だ。神無月というだけではない。金勘定ばかりがモチーフとなって変更された祝日だが、ものの見事にそれは精神性をうち捨ててしまっているじゃないか。日本の為政者だけではない。ジンルイがその段階にきて、その心裡から「神を留守にさせている」。
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