若いおサカナが二匹、
仲よく泳いでいる、
ふとすれちがったのが、
むこうから泳いできた年上のおサカナで、
二匹にひょいと会釈をして声をかけた。
「おはよう、坊や、水はどうだい?」
そして二匹のおサカナは、
しばらく泳いでから、はっと我に返る。
一匹が連れに目をやって言った。
「いったい、水って何のこと?」
こんな詩のようなフレーズからはじまる卒業式の「祝辞」を読んだ。小さな一冊の本になっている。デイビッド・フォスター・ウォレス『THIS IS WATER』(田端書店、2018年)。アメリカでは、出身かどうかに関係なく、著名人を招いて卒業式の祝辞を述べてもらう風習があるようで、これは、オハイオ州で最も古いケニオン・カレッジの2005年度の卒業式に招かれて、行われたもの。
D.F.ウォレスは1962年生まれのアメリカの作家。2008年に大統領選に出馬するバラク・オバマの立候補演説を依頼されるようなかたであったという(体調不良で引き受けはしなかったが)。
この「祝辞」の中でウォレスは、人が生きていくということは、生まれ持った感性や感覚、ものの考えかたなどの、「自然に埋め込まれた初期設定」を、無意識に信じ込んで成り行き任せにすると、「退屈で、苛々して、人いきれに喘ぐ、社会人の生活の一面を体験することになる」とみる。そして、意識して組み替えていくことだと力説する。冒頭の詩のようなことばは、「初期設定」を象徴する場面を取り出している。大学で学ぶことというのが、じつは「ものの考え方」であり、でも卒業しても、世の中の「自然に埋め込まれた初期設定」をふだんに見直すコトを続ける必要があるという。それを小さな本で言えば、140ページまでいくつかの事例を引いて述べたのちに、二度繰り返されているフレーズが「これは水です」である。
卒業式というよりも入学式の「祝辞」にしたい趣があるが、今私たちの孫世代が、どのような「初期設定」に気づき、それを見直して突き崩して組み替えることに臨めるか。
ウォレスは、しかし、この祝辞を述べた3年後に縊死して46歳の人生を閉じた。双極性障害(躁鬱病)だったと「訳者解説」にあったが、「これは水です」と喜びに満ちて語れる「水」を求めて、苦悶しながらの創作が続けられていたのであろう。ずいぶんたくさんの作品が奥書に記されている。少し手に取ってみようかとおもっている。
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