一昨日(10/14)のJBpressに、驚くような記事が載った。《習近平の独裁がついにここまで、中国報道機関がすべて国営に》と題した、福島香織記者のレポート。
中国政府の国家発展改革委員会が10/8に打ち出し、10/14までパブリックオピニオンを求めている「市場参入ネガティブリスト」(2021年)。その第6項目に今年は「ニュースメディア関連業務」が加えられた。その中身はおよそ6つに分けて説明されている。
(1)非公有資本(民間企業)が報道事業を行ってはならない。
(2)非公有資本は報道機関の設立・経営に投資してはならない。その範囲は通信社や出版社、ラジオ・テレビ局だけでなく、ネットニュースサイト、情報編集発信サービス機構なども含む。
(3)非公有資本は、報道機関の紙面、チャンネル、コラム、アカウントなども運営してはならない。
(4)非公有資本は政治、経済、軍事、外交、重大な社会、文化、科学技術、衛生、教育、スポーツ、政治の方向性に関与すること、世論や価値観の誘導に関する活動、事件の実況放送などの業務に従事してはならない。
(5)非公有資本は海外メディアが発信した報道を国内に広めてはならない。
(6)非公有資本が報道・世論領域のフォーラムやサミットを開催したり、(コンテストなど主催して)賞評活動を行ってはならない。
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これはどう見ても、情報の全面的な国家独占。かつて日本で行われた刀狩りになぞらえていえば、「言葉狩り」である。ニュースと呼ばれる報道ばかりではない。(2)(3)は、民間のメディアは許可しない。(4)は、人々の暮らしに関わるあらゆる「言葉」が公有資本の元でしか許されない。(5)は外からのものもシャッタアウト。情報鎖国である。では、媒体抜きでやりとりするのはどうかというと、(6)がかっちりと閉め出している。
思えば、紀元前3世紀、秦の時代、丞相・李斯の意見によって法治主義を徹底させるために、医薬・農業・占い関係以外の書物を焼き、政治を批判した学者などを生き埋めにしたといわれる焚書坑儒。それを彷彿とさせる方針である。(4)には、文化、科学技術や衛生も入っているから、医薬も農業も占いも、娯楽も、国家独占ということになる。つまり「言葉」をすべて国家が独占するという宣言である。秦の時代にはそれを思想統制につかったと歴史の解説書はいうが、上記の「言葉狩り」はそんなものではない。人々の暮らしそのものを、国家統治者の思いのままに操作しようという「人民統制」である。しかも情報化時代という世界の趨勢を視野に入れて、「情報鎖国」を組み込んでいる。となると、中国という檻籠の中に人民を封じ込めて統治する。まさしく北朝鮮化。それを「世界の工場」を自認する国がやろうとしているのであるから、何がTPPだ、自由貿易だといわねばならない。
ただ、自国の世界経済における位置を承知しているから、これができると自信を示している。つまり他国が文句を言うことはできないと読んでいるとも言える。
この方針は、しかし、今年急に現れたものではなく、すでに政府系メディアが次々と民間メディアを買い上げてきたこと、政府に批判的な民間メディアや独立系のジャーナリストを、逮捕・拘留・処罰してきたことなどをあげて、情報化時代の進展を推し量りながら手探りで統制にこれ努めてきたと、福島香織記者は記す。まだ「決定」ではないとはいうが、推進路線の先を見せていると付け加えている。
これは、中国の国内問題なのだろうか。私には、そうは思えない。いうならば、ウィグル族やチベット族ばかりではなく、中国人民を奴隷的に人質にして共産党政権という独裁国家を維持している国家のモンダイだ。しかもその維持の保証になっているのが「世界の工場」という位置だとするならば、新疆ウィグル自治区産の羊の毛を使ったユニクロの不買運動をするだけじゃなく、中国製の製品をボイコットするくらいの応対をしなくちゃならないのではないか。つまり、世界経済と人間の暮らしという、生きることの基底に関わるモンダイが提起されていると思う。
どうしたらいいだろうか。ひとつ思い浮かぶのは、アナログに戻れということ。デジタルだからこそ、上記の統制は国家独占となる。だが、アナログの「私信」ならば、籠を抜けられる。むろん人民の中に、密告をする輩も居ようから、井戸端会議さえも心しなければならないだろうが、秦に抗して陳勝呉広の乱が起こったことも、それを機に項羽・劉邦の挙兵に至ったことも、三国志演義に詳しい。中国の民は天声人語、言葉狩りに対しては、天の声が味方する。対岸に居て私たちは、形の違う、自国の言葉狩りに抗して、支援していかねばならないと、2200年以上の歴史がひと繋がりになって胸中に胚胎するようになった。
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