2021年10月22日金曜日

学問研究に対する軽視の体質

《ノーベル賞学者の「KAGRA計画」重力波の検出は事実上、不可能に》という見出しに、なんだろうと目をとめた。週刊文春オンラインの記事。

 重力波の検出をアメリカなどと協力して行う計画の「ハイパー・カミオカンデ」KAGRAは、何段階かのグレードアップを重ねて、ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏(62=東京大学宇宙線研究所所長)が研究代表者を務めて、研究を牽引してきた。その会議で、梶田氏が、目標としてきた数値を大幅に引き下げ、重力波の検出が不可能になっていると表明したことが、文春砲にすっぱ抜かれたというもの。

 KAGRAの子細メカニズムは承知していないが、重力波でどれほど遠くの宇宙を見ることができるかという望遠鏡。なんでも「25MPc以上で、重力波を観測できる」という。2015年に重力波を観測したLIGOは「60MPc」の能力をもっていて、ハイパーカミオカンデは「25MPc~130MPc」を目標として計画が進められてきたそうだ。

 梶田氏が(オンライン会議で英語で)明らかにした「目標値の引き下げ」は、なんと「1MPc以上」。重力波の検出には1万5千年かかるという。なんだ、KAGRA計画とはなんだったんだ。この十年間で190億円を投入し、文科省主導で推進してきたという。この十年、何をしていたんだ。

 文春オンライン砲も、事実報道だけをしていて、なぜこうなったかを記載していない。だが、梶田氏は「欧米プロジェクトに較べて15年遅れているから」と、淡々と述べているのに、諦めに近い切歯扼腕を感じる。

 文科省の管轄下に行われる科学研究が、これほど頓珍漢になってしまうのは、どうしてか。類推するというよりも、眼にも明らかになっているのは、ここ30年ほどの間の、日本政府の成長狂い。バブルの夢を再度といわんばかりに、「遅れてきた*十年」が叫ばれてきた。経済構造の改革も、グローバル化への対応も、ことごとく外圧によって渋々動くような気配。自ら改革に乗り出すよりは、外から求められて、やむなく応じるという風体。きぎょうも、だからか、用心に用心を重ねて、内部留保を高めることに腐心し、従業員への分配をおろそかにしてきた。輸出入という外部との取引関係に心を砕くが、内側の経済関係が回ることにはさしたる関心を向けなかった。内部需要喚起も、日本の輸出圧力に苦しんだアメリカから要求されて600兆円もの支出を財政から行うという無様さであった。つまり、国民の暮らしそのものがどうなっていくかに心を傾けなかった。そして気がついてみると、先進諸国の所得は、30年前と較べて40%ほど上昇しているのに、日本のそれは5%に満たないという有様。政権党も、今ごろ選挙で分配あってこその成長を言い始めたと思ったら、逆転して成長あってこその分配と言い直し始めた。つまり、旧来勢力のセンスによる圧力が、相変わらず強く作用している証が見える。

 いや、話は科学研究と政治であった。となると、学術会議の新規任命拒否を、説明抜きに続けていることを挙げねばならない。今回のことと学術会議のこととがつながっているとは思わないが、コトの重要さが何処で目詰まりを起こして、こんな事態になっているかを考えるとき、私たちは、包括的なセンスを思い浮かべる。その直感の背景には、一つひとつのこと、たとえば大学院の博士学位を増やしては来たものの、彼ら、彼女らが学位を取ったもののその後どう活躍することへ気を配ったかを考えてみると、後は野となれ山となれ状態。笊で水を汲むような仕掛けをしておいて、顧みない。

 学術研究が、すぐ現実に役立つかどうか、金になるかどうか、そういう近視眼的な見方で予算を組み、成果が(短期間で)上がらなければどんどん優先順位を下げ、予算を削ってしまうやり方が、まかり通ってきた。それを見てきた私たちは、ほら見たことか。ノーベル賞だなんだと喜ぶのは、半世紀も前にバブル経済を迎えて、有り余る金をつぎ込んでいた成果が花開いたのを見ているだけ。いずれだめになるよと思ってきた。それが目の前に現れるようになったのが、今回の「目標の切り下げ」であった。

 なんのための政府なのか。なんのための研究活動なのか。文化って、なんだ? 国家経済って、輸出入のコトばかりなのか? そもそもクニってなんなんだよ。コクミンの暮らしって、政治の局面ではどういう意味を持ってんだよ。単に、選挙の票数にしか見えないのなら、政治家なんてくそ食らえだ! って怒鳴りたくなるよね。

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