甲州に住む友人から今年も「令和3年の甲州ぶどう」が届いた。リタイア後に生まれ故郷に帰り、親がもっていた「葡萄栽培」の後を継いだ。といっても、売りに出すわけではなく、自家消費程度と控えめに記す葉書大の「挨拶状」が添えられている。今年の気象、畑の病気、葡萄の育ち具合に気配りしながら、どこまで健康でいられるか、夫婦の健康状態を保つために葡萄を育てていると謙虚だ。その友人も数えでいえば傘寿になる。去年までは持って運べた20kgの堆肥の袋も台車で運ぶようになったと、苦笑いをしているように記している。彼の葡萄や土や堆肥やそこに身を置くふるさとへの愛着が、ひたひたと伝わる。すごいなあ、いいなあと、とても今からでは切り替えようのない生き方に感嘆する。
ものをもらうことは、気持ちの負担になる。だって、お返しするものが,こちらには何にもない。お天道様相手に汗水垂らして育てたものにたいして、近くのデパートで買った物をお返しするのは、どう考えても「失礼」に思える。といって、物をつくる才覚は、ない。裁縫でもできれば、手作りの何かを送ることはできる。絵を描くことができれば、絵手紙ということもささやかながら,悪くない。楽器でも弾ければ、音の手紙も制作できる。だが、それもできない。全くの無趣味。参ったねえと、困惑する。
贈与互酬の、釣り合いがとれない。
昔からそうであった。物を頂戴するというのは、そういう意味で「心の負担」であった。だが、そもそも「釣り合い」はとれないのだ。人は,殊に歳をとってからの人は、生まれも育ちもその後の径庭も違うことを、明らかに目にする。それを自覚することが、己の心持ちを安定させもする。つまり、人それぞれよ、と識ることが大人になることであった。
となってみると、互酬といったり相身互いというが、それは対称的には計らえない。市場取引がその普遍性に手を貸したのかどうかはわからないが、いつしか私(たち?)は「互酬」とか「相身互い」ということに、対称性を持ち込んで反応するクセがついてしまった。
そんなことはできないし、ないよ、なくてもかまわないよと、心に定めるようになってから、「贈られてくる物」に込められた送り主の「近況」が読み取れるようになった。「釣り合い」は、そもそもとれないし、とれなくても仕方がない。だってこんな「わたし」なんだから。ごめんねと謝りながら、「御礼」をしたためる。
すると向こうさんから、「返信」があり、「追記」がある。それに恐縮して、こちらも「返信」を書く。こりゃあ、黒山羊さんと白山羊さんだなとおもいながら、でもそうか、そもそもは消息のやりとりであったものを、「モノのやりとり」と受け取るようになって、贈与互酬に「釣り合い」なんて心持ちが組み込まれるようになったのだと思った。「わたし」の思い込みが苦しかったのだ。
歳をとると、何につけ、自分の輪郭がそこに投影されていることがみてとれるようになる。恥ずかしいこともまた、思い出されて可笑しいことがある。良くも悪くも、良かろうと悪かろうと、そんなことはもう、ただただ「己の輪郭」と受け止めることができる。その感性は、悪くない。
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