第一日、着いていきなり2時間ほどのフリータイム。実はオプションの遊覧船や町歩きがあったのだが、すぐ定員いっぱいになった。
無論退屈はしなかった。ちょうど昼食タイムでもあった。オプション参加者はお昼を(機内で)済ませていた。それと、すぐそばに「自然博物館」があって、隠岐諸島のジオグラフィカルな成立由来と動植物の特性などが展示説明されている。これが面白かった。時間が足りず、バスの出発に駆けつけるようであった。
出雲大社に連なる水若酢神社にも顔を出し、島の記念相撲の話を聞き、そういえばこれは、NHKスペシャルの隠岐相撲の特集があったか。子どもから大人まで、夜通し相撲をとって、島のなにか記念すべきことがあると相撲大会を催す。大関や関脇には柱をプレゼントする習わしがあって、「左をご覧ください。そう二軒目の軒下、太い柱があるでしょう。あれです」と走るバスの中でガイドが力を入れて話をする。土俵の高さまで(後ろ席からの)見物客に配慮するきづかいをして三段組みにしているという。
その後、港から船に乗り「外洋」に乗り出す。ローソク島の周りを経巡り、夕日がちょうどローソクの芯に当たるところに来るところで船から撮影するという瞬間をサービスしようという趣向。日の入りと出航時刻とを見計らっている。何隻かの船が出ているから、なかなかどんぴしゃりとはいかないが、船長の腕が競われているようだ。実際には、お陽さまが明るくて、ローソクの芯に火が灯るというよりは、ローソクの後ろから後光がさすような風情であった。奇妙なのは、ローソク島の名前。海の中に屹立する、高さ二十メートルになろうというローソク様の大岩に、なぜか、島と名付けている。大小百八十ほどの島からなる隠岐諸島と言っても、何だ、こんな岩を島と呼ぶのなら、諸島の数も、ま、たくさんという程度に聞いておけばいいのだろう。後で宿の亭主でもある漁師さんに聞いたのだが、ほとんどの島は個人所有になっているそうだ。むろん固定資産税も何百円か支払っている。たまに釣り客を案内することもあるだけ。ほかに使いようがないけど、爺さんの代からの持ち物なので、手放すわけには行かないと笑う。何万年か経てば、これもまた波と風に削られて固定資産税も不要になるのだろう。
下船して宿へ向かう。20人のグループでさえ、一つの宿に収まらない。分散宿泊。添乗員はしきりと恐縮しているが、大きなグループのために大きなホテルを作っても、いつも稼働するとは限らない。それよりは島の中の小さな宿が連携して、宿それぞれは自前の送迎車を持っているわけだから、終着点、出発点に送迎するというふうにして、分散宿泊に手を貸したほうがいい。宿の人たちも料理人となって腕を上げるであろうし、地域的にもそうだし、ツアー業者としてもそのほうが都合がよいに決まっている。私たち二人も、他の宿に移された。だからといって別に、ツアーの同行者に連帯感があるわけじゃないから、まったく気にならない。
こうして、第一日が終わった。
そうそう、食事について書いておきたい。島後のホテルの夕食は、見事であった。海産物が新鮮。何より、養殖している岩牡蠣の大きなのは圧巻だった。瀬戸内海の養殖牡蠣と違い、3~4倍でっかい。養殖の生け簀は海の各所に設えてあった。島と島の間が離れているといっても、瀬戸内海と較べると遙かに小さく、波は穏やか。養殖法の違いなど興味があったが、聞く暇もなかった。中央の貝柱が太くかっちりとした噛み応えがあり、肉汁がたっぷりと含まれている。お作りの味も、ちょっとした煮魚も、見事であった。やっぱり埼玉のスーパーあたりの刺し身とは比較にならない。新鮮な魚というのは、こういうのだと日頃の粗末な食事に思いを馳せた、海なし県のサカナ好きでした。別に反省したわけじゃないけど。(つづく)
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