2021年11月13日土曜日

遠征

 何年ぶりだろうか、関西へ足を運んできた。半世紀ほどのお付き合いのあった友人が昨年なくなり、その一周忌と納骨に呼ばれた。亡くなった折、神戸大学へ「献体」をした。葬儀はお骨が戻ってからということだったので、幸いにも出席できた。もし昨年であったら、大阪も東京も大騒ぎしていたから、出席できなかったに違いない。

 奥様と親族4人、故人の知人が私を入れて3人というひっそりとした儀式。場所も墓園。「**家之墓」と彫り込まれたお墓の前に式台を置き、納骨を済ませてから、お坊さんが読経する。わずか30分ほどで儀式は終わり、移動して会食となった。

 今年で数えの卒寿になる方だったから、東京の大学へ進んで以来、家族とは別れるように暮らしてきた人であった。私も踏み込んで彼の出自由来を聞こうとしなかったから、知らなかったが、姉と弟がいたはずだったけれども、顔を見せていない。訊くと、弟さんとは何やら険悪な関係があり、弁護士を通じて話をしているそうだ。親族というのは奥様の妹さんとその娘家族。福岡からワゴン車で駆けつけて、子どももなく独りになった奥様の世話をしている。妹さんは別として、その子ども家族は故人である伯父に会ったこともないと聞いて、ご挨拶代わりに私が48年に亘って故人を尊敬してきた要所をいくつかのエピソードでお話しした。と、姪御さんが「図書館のお手伝いをしているのですが、伯父の入れ込んでいたことも知らず、二日前、手に取って面白そうと思ったのが世阿弥や観阿弥の能に関する本だった」と偶然の出合いを言祝ぐように話をする。また私が故人から紹介されたフランスの哲学者の名前を聞かせてくれといって、ミシェル・フーコーとルネ・ジラールの名前を書き取っていた。

 そうした故人に関することは淡々とお話しできたのに、葬儀の「ご案内」を受けたことへの感謝と気を落とされないようにと奥様に言葉を添えようとした途端に、涙が出そうになってちょっと慌てた。

 葬儀の間は青空が見えて、日差しが熱いと感じるほどであったのに、会食へ移る頃から雨が落ち始めた。「主人のうれし涙ですね」と奥様は静かに口になさっていたが、寄り添ってから63年の月日がこみ上げてきていたのかもしれない。

 葬儀会食の後私は、堺に住む弟の家へ行った。去年行われた母の七回忌にコロナ禍で出席が叶わなかったから、お線香を上げようと足を運んだわけだが、やはりここ5年、顔を合わすことがなかった弟夫婦と言葉を交わすことが楽しみであった。夕食を頂戴しながら何時間おしゃべりしただろうか。焼酎のお湯割りを弟がつくってくれ、6杯までは覚えているが、何杯飲んだか覚えていない。朝方目を覚まして布団の中でうとうとと心地よくぼーっと過ごして、7時過ぎに起きた。雨の音がしていたと思ったが、朝食を終える頃には日差しが出てきた。金剛寺というお寺に行こうという。なんでも南朝の行在所にもなったという。そうか、高野山に近く南朝の熊野もすぐ近くなんだと思った。

 金剛寺は面白かった。わずか車で30分ほど走る。金剛山の山懐に入った感触。女人高野と聞く。女人禁制の高野山を取り囲むように女人高野が何カ所かもうおけられていて、その一つに南朝の天皇が御座所を定めていたというのだ。真言宗御室派の大本山と肩書きが付いている。こんなに大きなお寺とは思わなかったほど、広い敷地が、何区画かに分けられている。北朝のとらわれた天皇の御座所屋敷、南朝天皇の御座所屋敷と分けられてあり、国宝や重要文化財の大日如来像や不動明王や快慶の弟子が制作したという阿形像吽形像が楼門の両脇を固めている。一面のスギゴケが覆う庭園は、修復中の大玄関を囲う足場と多いが視界の邪魔ではあったが、色づき始めているモミジと相まってしっとりとした落ち着きを醸し出す。御座所の部屋は広く風通しが良い。寒かったろうなと思う。

 絵を描いている十人ほどのグループがいた。その視線の先は、御所の白壁とその向こうの庭に広がるモミジの色合いとが、なるほど目をとめるに値する景観を保っている。金堂の大日如来を見ているとちょうど読経が始まり、バリトンの響きのいい声がときどき打ち鳴らす鉦の音を交えてお堂全体に響き渡る。声が身に響き、染み渡って清められる感触を、南朝の天皇さんも味わっていただろうかと、700年ほど前に思いが飛ぶ。

 寺庭をゆっくり見回っていると雨が落ちてきた。駐車場の車に入る頃にははっきりとした雨粒が降りかかり、なんだか切り上げ時を知らせる雨だったなあと言葉を交わして笑った。

 12時半頃、軽いお昼をいただき、メトロの駅まで送ってもらって弟夫婦とは別れた。新大阪駅まで一本。混んでおらず、大阪のコロナの感染も気にならなかった。新幹線も空いていて、乗り込んで30分ほどは眠り込んでしまったが、そのあと本を読んで過ごした。富士山が8合目から上に雪をつけて、曇り空を背景に静かに屹立していた。上野東京ラインが混んではいたが、25分の電車も肩がぶつかるほどではなく、武蔵野線も6時頃のラッシュであったのに、歩くのに不都合を感じるほどではなかった。

 久々の面白い遠征だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿