熟した甘柿とサツマイモが届けられた。カミサンの兄からの贈り物。85歳を過ぎて兄は米作りをやめた。その田んぼ跡に杉ばかりを植えても風情が無いと思ったのか、サツマイモを植えたら、大量に収穫できた。そのお裾分けというわけ。甘柿は家の裏庭に生っているのが目について、穫ってくれた。いずれも段ボール箱にいっぱい。むろんカミサンは喜んで、電話で話している。
カミサンは4人姉兄妹の末っ子。一人だけ大学まで行かせてもらった。他の兄姉は四国の山の村に居を構えて農業と林業、その他の仕事について、いずれも80代の人生を送っている。一番上の姉が元気であった頃は、蕨や薇や山葵が毎年届けられた。私が定年後、蕎麦打ちを覚えて打っていると知ってから、蕎麦が毎年のように送られてきた。蕎麦は収穫が大変だからとカミサンは遠い昔を見るように話していた。十五年近くも続いたが、2年前に脳梗塞に襲われて、農作業から手を引いた。
もう一人の、一番歳の近い姉とは、姉兄の様子や縁者の消息を聞かせてもらって、一番気の置けない姉妹。餅米を送ってくれたり、自宅で集落の仲間とつくる地元料理のあれこれを詰め合わせて正月には届けてくれたりした。その姉も、ご亭主が入院したりすることがあり、気鬱な日々を送っているのか、やりとりが少しばかりちぐはぐするようになった。
もちろん親の佇まいに変化があっても、わりと近くに暮らす甥っ子や姪っ子と通信がとれるから、姉兄の様子を聞くのに不都合はないが、コロナ禍とあって直に会うことができない。皆同じように歳をとることが、こういう行き来の変化をもたらすものかと、改めて気づいてため息をついている。
熟し切った甘柿は、皮を剝いて食べるということができない。柿の頂点部分の、頭の蓋を取る用意丸く切り取り、匙を入れてクリームのように熟した実を掬いとって口に運ぶ。これはなかなか上手い手だ。柿の皮はそれなりにしっかりと固さを保っている。中の実は熟してグズグズになっているから、スプーンにうまくのる。朝食のデザートに最適。だがこれが、ひと月分ほどもある。
米作りに力を尽くしてきた兄の、百姓仕事に残る思いは土を介するサツマイモにこもるが、芋掘りの大変さがどれほどのものか、見当もつかない。85歳を過ぎた体には、やはり過酷なのではなかろうか。
元気でいること、安らかに過ごすことのなかに、自然を使って生きてきた生業が、やはり体という自然を使っていたという事実のあったことを、動態的に感じ取って生産物を頂戴しているのだと、ふかくふかく思う。それが姉兄妹の関係そのものなのだと、思い起こしている。
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