2021年11月28日日曜日

seminar実施しました

 昨日(11/27)、36会seminarを実施しました。新橋の「ももてなし家」は、9月よりもさらに人が集まっており、一階の店内を見て回るのは夕方の電車の中よりも混雑していました。それがいいことかどうかわかりませんが、確実に「人流」は恢復しています。

 seminarにいつも顔を出す「常連」が、全員そろうことになっていました。

 開会の30分ほど前から集まり初め、てんでにおしゃべりが始まります。2ヶ月ぶりの方もいれば、4ヶ月ぶりという方もいます。seminarがある毎に映画を見てからやってくるというフミノさんにも、1月のseminar後の新年会にバイオリンの演奏を披露してもらうことになりました。新年会は、幹事役のミヤケさんが実施を決め、後日皆さんに案内を出すことにしています。

 9月に入院していたマンちゃんもお内儀と一緒にやって来ることになっていましたが、まだ顔を見せていません。いつも連絡を取っているミスズさんが、皆さんに聞かれて、どうしたんだろうと心配しています。電話をしたら、まだ家に居ました。2時から開始と思っていたといい、家を出てくることになりました。

 1時間ほど遅れて二人がやってきました。マンちゃんは、歩くのもおぼつかない風情ですが、皆さんの顔を見るためにやってきたと口にします。会食になって、他の皆さんと同じものを注文し、生ビールも少しずつ飲んでいましたから、ずいぶん恢復しています。ちょっと咳き込んだりしますが、フジワラのトシさんと話し込んでいましたし、店番にも午後から顔を出して、片付けもお内儀としているとのこと。数え傘寿の壁に挑んでいる最中という感じですね。

 さてseminarは、ミドリさんを講師にして「ジェンだーって何? 日本人はジェンダー・ギャップを埋められるか?」をお題にして始まりました。事務局の「次第」には、次のように「まえせつ」が書かれています。

《生物学的な「性別sex」に対して、人間は社会的にも、文化的にもいろいろな衣装を着せてきました。男らしさ、女らしさ、男の役割、女の役割という衣装。それが「ジェンダー/gender」です。

 文化的にいえば、男言葉、女言葉があります。服装もそうです。立ち居振る舞いに至っては、男女の優劣が如実に現れます。三歩下がって男を立てるという大和撫子の理想型も、文化的につくられていった素養です。

 制度的にいえば、男系/女系という職業・資産の継承権の系譜も問題になります。家計の財布をだれが握っているかというのも(社会的に)男女が影響しているとすると、それもジェンダーです。イエ制度や夫婦同姓か別姓かも、関係してきます。

 それが男と女の関係となると、もっといろいろな既成観念がかぶせられて、私たちの感じ方や考え方を支配している言えます。その齟齬から来る軋みを、ジェンダー・ギャップと呼んでいます。齟齬は取り払うことができるのでしょうか。

 でも、どのような場面でどのようなモンダイをめぐって取り交わされるかによって、齟齬の質も範囲も広がっていきます。先のオリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の発言も、そうでした。また、子育てをどうして女がやらなくてはならないのか。イクメンという言葉も起ち上がりました。男と女の生理的違いがもたらす社会的、文化的な差異は、しかし、時と場合によって、身のこなしとして私たちはくぐり抜けてきました。時代的な文化の流動・変化によって、かつては何でもなかったことが、大きく問題になってきています。世相の変化です。

 他方で今の私たちは、歳を重ねてきたことによって、ジェンダー・ギャップよりも、フィジカル・ギャップの方が暮らしに大きく作用するようになりました。同時に、古いままのジェンダー・ギャップを身につけていて、どうしてあの程度の発言で森会長が辞任することになるのか。ちょっとわからなくなっていましたね。国内的には一時収まったかに見えた発言の波及でしたのに、、国際的な非難が轟轟と響き渡るように伝えられ、国際世論に押されて会長辞任となったのですが、そのインターナショナル・ギャップがどうして生じたのか。それが副題の「日本人はジェンダーギャップを埋められるか?」という問いになっているのかもしれません。彼女の経験豊富なアメリカ文化との対比が縦横にめぐらされて、面白い切り口になると期待しています。》 

  さあ、どうなったか。そのご報告は、また改めてすることにしましょう。

 seminar後の会食は、「アルコール解禁」とあって、勢いづいたのはミヤケさん。ハイボールから初め、岡山・宮下酒造の地ビール「独歩」、同じく宮下酒造の「極聖・雄町・大吟醸」と飲む順番を考えて注文し、ハイボールの届くまで、手をつけずに待っているという律儀さでした。マンちゃんの恢復を祝って乾杯し、まず何より再びこうして顔を合わせることができるのを言祝いでいる気配に満ちていました。

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