2年前、友人から古希祝いでもらった蜜柑の苗が、2年目の今年、実をつけた。ところが、なかなか蜜柑色にならない。青いまんま。その友人に話したら、「蜜柑成」だねと笑われた。その後、庭の隅でカミサンが見つけたのが2年前の蜜柑の苗についていた説明書き。「寒くなったら、室内に入れて下さい」と書いてあった。なんと、鉢植えのまんまで育てろってものだったのを、庭に植えてしまったのだ。十月の末、他の家の蜜柑は見事に色づいているのに、我が家のそれは、未だ青い。なんだか「私への皮肉みたい」と友人に伝えたら、笑われた次第。それが色づき始めた。みるみる蜜柑色になったが、未だ皮は固いままのように見えた。その皮に薄い茶色のかさぶたのようなものが付き始め、「寒さに弱い…早生みかん」とあったのを思いだした。
昨日朝、穫り入れた。全部で四つあった。友人に一つ渡すことにして、友人の娘にも一つ持っていくことにする。電話をしたら、「いるよ」と元気そうな声。ほぼ毎月郵便でやりとりしているが、8月には「此岸にいるのが不思議」というくらい暑さに負けそうな葉書であった。それが、9月には6000字を超える手紙となり、10月には9000字にもなる長文の返信が来た。その分量を見ながら、元気になったなあと喜んでいた。顔を合わせるのは昨年の7月以来か?
昔尋ねたことのある彼の家は、高層ビルに囲まれてすっかり場所がわからなくなっていた。車のnaviは「目的地に着きました。案内を終了します」といって沈黙してしまった。電話をすると、彼が通りに出てきて、細い路地に車を入れるように案内してくれた。路地は昔のまんまという風情。
コーヒーを飲みながら、少し話をする。何と彼は、「小説」を書き上げ、冊子にし、すでに配布しようとしている。A4版1頁3段組で296頁にもなる。400字詰め原稿用紙にすると1600枚になったという。畢生の大作とご本人も《自称「小説」謹呈のご挨拶》のなかで述べているが、この「畢生」は「生涯にたった一編でもいい「小説」というものを書いてみたい」というほどの意味合いで、作者本人に、全く気負いはない。
《小生謂う所の「小説」は(テーマを持ち時代相に切り込むという)近代的なものとは無縁の、まあいずれ自分の思いつきに任せて気儘に書き綴った単純読物と称すべく》と、ひたすら遠慮がちに卑下なさっている。しかしこの方、かつて、ドキュメンタリータッチのファンタジー作品で埼玉文芸賞を受賞するという実績を持っている。「声に出して読む小説」と賞賛の声を得たこともあって、その筆のタッチは音韻を踏まえて踊るようであり、(声に出して)読むことがすでにリズムやメロディを胸中に醸し出し、その言葉の踊り出しに酔っていただきたいと(言ってはいないが)謂わんばかりである。
舞台は江戸、謂わば「戯作」とタイトルに加えるほど酔狂を極める「語り物」というわけである。いつものように寝ころんで読み始めようとしたが、重くて腕がすぐに痛くなり、机に置き、椅子にきっちり座って読むしか仕方がない。文字がびっしり。しかも漢字が軒を連ね、ふりがなをつけてあるから、いっそう頁の面積を埋めて重々しい。すぐに読み草臥れてしまって、ま、ゆっくり読もうと取り組みを改めることになった。
そういうわけで、この「小説」の読後感は、ひと月もふた月も後になろうと思う。
帰宅して、苗を下さった友人にも差し上げたので、我が家も蜜柑を食してみようと手に取った。実は、その味が恐ろしく、かの友人にも「もし酸っぱいようなら、レモンのようにつかってね」と口にした。皮を剝く。薄くしっかりとしている。何だか酸っぱそうな気配がしていたが、一袋口に入れる。う~ん、そこそこの甘さ。酸っぱくはない。まず蜜柑を食べているという感触がうれしかった。古希祝いの蜜柑を、数え傘寿の私とカミサンがいただいている。この調子なら、来年以降も、一つ二つは口に入るはず。そう言えば小学校の担任が我が母親の気持ちを静めようと「大器晩成ですから」と口にしたことを思い出した。文字通り「蜜柑性/未完成」の「わたし」にふさわしい。完結編もなしで彼岸に渡るというのも、友人のくれた「幸せな予言」に聞こえる。
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