2日目、島前・西ノ島の宿。今日の行程を一通り終えて、宿に到着した。夕食の後、オプションの「神楽」があった。希望者は7時20分に集合してバスで送ってくれる。地区の公民館。といっても広く、ちょっとした体育館のよう。舞台もある。小学生らしき男女が二人、背を丸めた中学生らしき女生徒が一人、高校生かなという女子生徒が二人と、アラカンの大人の囃子や歌い手が3人。神楽同好会と名乗っているが、地区の文化保存のために活動しているのであろう。会場準備のスタッフは、さらに同数ほどの公民館職員か。
神に捧げる神楽に始まり、巫女の舞、恵比寿と3題の演目。お囃子を鳴らし、踊り手がわずか2畳の畳を隅から隅まで使いながら、ゆっくりとした所作で何度も回る。ちょうど目の高さに来る足のつま先や踵の動きが、体の動きに先んじて動き、一つひとつの所作がきっちりと刻むように30度ずつ回って、それについていくように、ゆっくりと身が回る。見ているうちに、神と交信しているような気配を踊り手に感じたのは、不思議であった。
恵比寿の舞は、これはすっかり人間に向けて差し出された神からの贈り物という感触で受けとったが、そういえば、大黒様は大国主命ではなかったか。ここ、島根県は、神々の総本山。皇室の氏神様・お伊勢さんと違い、民草の神々の総本山は出雲の神。それを讃える響きが伝わるようであった。こうして、9時頃までかけて、二日目の全行程が終わったのであった。
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第3日も、晴れ。気温もそこそこあって、寒くも暑くもない。南というよりも全国的に穏やかな秋日和であった。朝が早かった。6時半に朝食、7時20分には出発。まず港で、分宿のグループ合流をしなくちゃならない。それに、いろいろとおもてなし行事を詰め込んであった。
玉若酢命神社へ行く。1日目の水若酢神社同様、伊勢や出雲など名神社のいいところどり「隠岐様式」の神社建築。千木は垂直、男神。巨大な注連縄が拝殿の庇の下にかけてある。毎年取り替えるのではないらしい。2礼2拍手2礼という参拝形式。これもちょっとクセがある。神在月に来たせいで、島根県の神社には他国と異なる習わしがあっても不思議ではない。
社よりも、社殿の入口にある大杉がすごい。八百年杉(やおすぎ)と名前がついているが、樹齢は2千年だそうだ。見た目、屋久島の縄文杉よりは木肌が若い。そうだよね、年数からすると、弥生杉の若って所か。
すぐ港の方へとって返す。民謡の実演を、小グループ毎にしてくれているらしい。そのグループのローテーションと、客を待たせるわけには行かないという配慮があるから、行ったり来たりすることになる。
港前の観光会館に戻ると2階に披露の会場が用意されている。舞台として畳表の上敷きが敷いてあり、太鼓と三味線囃子の椅子がおいてある。客席との仕切りにビニールのカーテンが上から下までぴっちりと垂れ下げてある。コロナ対応というわけだ。私たちは椅子に腰掛けて観聴きすることになる。
進行係と歌い手が同じ人。太鼓と三味線のほかに踊り子3人が登場して歌う。なんでも北前船に乗って新潟など全国からやってきた船乗りが伝えた民謡が、隠岐の地で変奏され、歌詞も変わって隠岐民謡として今に至っている。元歌が隠岐ふうに歌詞を変え、歌い継がれてきたという。また、両手に持った飾り棒を、右手と左手でとっかえひっかえ、まるでジャグリングのように持ち替えて、男衆(おとこし)が踊り、太鼓と三味線と歌が囃し立てる踊りもあって、なかなか面白かった。わずか30分程の演舞だが、6グループを交代してもてなす。演者たちも大変だ。
モーモードームに移動して、牛突きを見る。土地によっては闘牛といい、角突きといわれる、牛の格闘技。一度、宇和島で観たろうか、沖縄だったろうか。でも、勝敗をつけるまではやらない。負けるとそれがクセになり、牛が使い物にならなくなるからだそうだ。角を突き合わせること5分から10分程。短時間だが、迫力はすさまじい。角が首に食い込みはしないかとハラハラして見守る。追い込まれて、会場を取り巻く鉄の手すりにまで下がり、それ以上下がれなくなって押し返してゆく牛の力勝負。見ている方も、力が入る。牛の綱を引いてコントロールしているのは20代(という感じ)の若者。それが、とても新鮮な気配を漂わせていた。
モーモードームのすぐそばが隠岐国分寺。天平文化の匂いを残し、後醍醐天皇の行在所となったということで、正統文化の(鎌倉期には排斥を受けた)継承者という誇りを湛えながら、しかし、明治維新期の廃仏毀釈によって伽藍から何からを壊され棄てさせられた怒りがこもっているような感触があった。明治維新政府の天皇権威の利用に憤っている感じ。かろうじて「隠岐国分寺境内」と記した石柱を本殿跡に建てて名分を立てているようだ。
脇には隠岐国分寺蓮華会舞の会館が置かれ、ビデオで演目を紹介していた.一緒に見ていたガイドが私もやってみますと、龍の舞の一節を、歌いながら、とっとっとっと三段跳び、後ずさり、それを三回繰り返してやり、笑いと拍手を受けていた。幼い頃から見て育った彼女も、自ずと体が動いて踊らないではいられなかった様子。身に響くのか、それが面白かった。
隠岐・島後の北端まで車を運び、白島(しらしま)の景観を見せる。多島海、百に一つ足りないから「白」島という。海の向こうにはユーラシア大陸があるのだろう。波は静かであった。
行程途中に「かぶら杉」という大杉も観る。大きな杉が一度切り払われ、その台座部分から何本かの幹が生えて何百年も経っている杉。それを見せようとバスは立ち寄る。
こうして午前中の名所を見て回り、お昼にまた、海鮮丼を食して1時間半程のフリータイムとなった。このとき、新しい出発日のクラブツーリズムの客がやってきて、観光会館の案内を受けている。なるほど、こうなると、チャーター機といっても、季節定期便くらいには活躍するようだ。でも当方は、町を見て回る元気はない。広々とした自然館のロビーで、港を眺めながら本を読んで過ごした。この穏やかさが好ましい。空港へはバスで10分程。空港の横の公園に出かけて1時間程の散歩をして過ごし、機上の人となった。
帰りは追い風のせいか、飛行時間は1時間15分。だがチャーター便だけのことはあった。座席番号で5人の人に「隠岐の観光協会からの贈り物」というプレゼントがあった。添乗員がくじを引いて発表する。一般客を入れていたら、こんなことはできない。
なんと私の隣席のカミサンが、マグカップと隠岐ローソク島と北斎の波の絵とをデザインした特製手拭いをもらった。この人、こういう小さい幸運が、いつもついて回る。持ち帰って、壁に飾って今回の旅の記念としている。(隠岐の旅・終わり)
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