2021年11月10日水曜日

ふれる

 いまリハビリを終えて帰ってきた。体を傷めてリハビリを始め、半年が過ぎた。週に4回であったのも2回に変更した。もちろん初めの頃に較べて、体は楽になった。なにより肩や腕の痛みを感じないで2時間、4時間と歩けるようになった。

 相変わらずなのは、右肩の動き。腕を後ろへ回そうとすると、肩から先へはいかない。肘を折って、背へ手先を回すと、ちょうど掌の半ばが体についた所で、止まってしまう。同様に肘を折って肩先へ指先をつけようとしても、肩につかない。要するに、肩甲骨と腕の付け根にまつわる筋が硬くなって、動かなくなっている。その筋が耳の後ろを通って首の方へ絡まり、また背骨の少し右側に沿って腰の方へと連なっていて、それも痼(しこ)る。それ以外の部分は、おおよそ恢復したと言って良いであろう。

 未だ続く痼りが事故のせいなのか、それ以前からの頸髄神経の圧迫に拠るものなのかわからないが、4月の事故以降、固着してしまったようである。リハビリは、それを解すためにやっている。

 8月からは鍼灸を月2回取り入れ、マッサージもそれまで同様に行ってきた。一つ感嘆しているのは、鍼を打つとき、鍼灸師の人差し指と中指の指先が筋のナニカを探り、探り当てた所へ鍼を打つ。軽くトントントンと鍼が入り、ピクッときたところで止まる。その位置から指が、ナニカを探りながらずれていき、ほんの1cmほどのところでまた、探り当ててトントントンと鍼を打つ。そのようにして、数十本の鍼を打つのだが、その指先が探り当てるナニカの箇所が、ほぼ間違いなく私の痼る筋の要所を衝いていることに、私は感嘆している。

 いやそれが、実は鍼だけではない。マッサージというリハビリの時も、鍼を打つわけではないが、施療の初めに腕や首の動きをやってみて、とりかかる。やはり指先で要所を探り当てて、押さえたりつまんだりして、解していく。その押さえる所が、ことごとく痼っている所とつながっている。しかも押さえてしばらくすると、痼りがほぐれて、体が軽くなっているように感じるのだ。これって、なんだろうと、いつも思う。

 感嘆しているのは、施療士が探り当てているナニカが、間違いなく痼りの要所であること。彼または彼女の指先は、どうやってそれを探り当てているのであろうか。単に「さわる」というのではない。「ふれる」ことによって、私の体からの反応を感じ取っていると思われる。

 理屈を聞きたいと思って、鍼灸師に「鍼を打つって、体に何が作用してるの?」と訊いたことがある。「刺激を与え、そこへ血流が集中してくることによって動きが良くなることを期待している」と、説明があった。骨や筋がどう体を経巡っているかを熟知した上で、ただ「さわる」だけでわかるのだろうか。それとも、「さわられた」ことへの私の反応を感知する「ふれる」ことによって、探り当てているのであろうか。いつか訊いてみようと思っているが、なぜか微妙な領域にふれる質問のように感じて、未だためらっている。

 患者の体の感じる感触が、施療者の指先とのコミュニケーションによって応答し合っているのだとしたら、それは面白いことだと思いながら、いつもリハビリを受けている。(11/8)

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