2022年11月10日木曜日

バイデン善戦というが

 バイデン政権誕生がわかった2年ほど前、私は少しばかり親近感を感じていた。なぜだろう。なんだったんだろう。

(1)年齢が同じということもあったかもしれない。1942年から78年間の戦中戦後世界を視てきた。身を置いた地平が違うから視ていること当家取り方に違いはあろうが、同じ時代を生きてきたという漠然とした「同時代意識」は、案外身の裡の響く部分で共有するものがあるような感じがした。それに、そうか私も年寄り面するにはまだ早いと、思わせられた。

(2)バイデンの穏やかな語り口。トランプの、人々の熱狂を誘おうとするような、自分で自分の言葉に寄っているような絶叫は、耳にうるさい。静かな語りは、中味が問われる。当選直後は「民主党の大統領ではなく合衆国の大統領」ということも口にした。それは当時の日本の首相にも聞かせてやりたいと思った。自分の仕事は、人々と共にすすめられるものだ。それを聞き取り、政策として練り上げ、最終決断を下して実施に移す。そういう自分の役割を、世界の中に位置づけて考える。そういう立場に相応しいと思った。

(3)バイデンが「調整型」の政治家だというのにも、好感を持った。それまでのリーダーと180度違う。トランプもアベ首相も習近平もプーチンも、先頭切って突っ走り、オレについて来いっていうタイプ。そのリーダーたちは、往々にして、自己中である。人の言うことに耳を貸さない。周りの官僚たちの力量をすべて動員して施策を練り上げてくるのであろうが、その割に中味がない。見掛けのパフォーマンスにばかり気を配っている。パフォーマンスというのは、テンポ、リズム、メロディやハーモニーで直に心情に呼びかける。何を喋っているかは、実はそれほど重要ではない。その体に響く感触に浸っている音楽のようなものだこれは私も、わが身の傾きの中に思い当たることがあることとして用心しなくてはならないことだ。しかも、周りの人々の陶酔がますます浸っている自分の実感を確かなものと感じさせてくれる。あるいは、綸言汗の如く、一度口にしたことを訂正せず、違った事実が突きつけられると、それをフェイクとして退ける果断さがウケていたりすると、不快であった。バイデンは、しかし、これをこうしたいという開拓型の政治戦略をもっている方ではないと報道された。むしろ、周りに人たちの意見に耳を傾け、齟齬を調整し、折り合いをつけて政策としてまとめていくタイプの政治家として活躍してきたとメディアは報じていた。それを好ましく思うのは、トランプにせよアベにせよ、空言疎語、リップサービスばかりで、嫌気がさしていたことの反動かもしれない。だが、自身の政治戦略が空っぽであるというのを、むしろ好ましく思うのは、日本人である私の特異なクセではないかとも思いつつ、自分を疑ってかかる政治家の素養として大切なひとつだと思っていた。

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 ま、上記のようなこともあって、バイデン登場に私は好感を抱いていた。だが、2年経って、結局、これではダメだと思うようになった。哲学が感じられない。ヒラリー・クリントンが敗れたのは、戦後世界の理念的な政治哲学が、ただボロボロに廃れた上着となって着るに値しないものとなったことを示していた。トランプに取って代わるには、そのボロボロの上着に替わる、なにがしかの政治哲学をもった新しい理念を編み出さなければならないのだ。それがないまま、昔日の「理念」に寄りかかって、「ひとつのアメリカ」を取り戻そうとしても、それは無理だろうと、中間選挙を前に岡目八目はみていた。

 今、開票が進んでいるアメリカの中間選挙。日本のメディアではトランプのパフォーマンスが華々しく報じられ、バイデンのそれは、まことに控え目。アメリカの報道がどうなのかわからないが、もし日本のような報道と似たようなものだと、ウケないだろうと思う。彼の口から出る言葉は昔から語り継がれてきた常套語ばかりだからだ。もうその理念は色褪せているよと私は思うのだが、それを超える哲学を組み込んだ理念は未だ出現していないと言えるかもしれない。

 でもバイデンが善戦しているではないか、とメディアは言う。インフレという逆風の中での「評価」だから、大幅に負けるはずの民主党が、この程度で踏みとどまるというのは意外であったという見立てだ。そうかもしれない。アメリカ大衆の気分が、口先だけのトランプでどうにかなるものではないと思ったのかもしれない。あるいはメディアが解説するように、敵を作りそれを蹴倒して自陣営を優位に導こうというトランプ流の二元対立的政治抗争では、暴力を助長するだけ、世界の傾きを止められないとみたのかも知れない。あるいは中国の世界戦略に気圧されて進行してきたアメリカの衰退を、アメリカ・ファーストでは押しとどめることはできないと感じたのかも知れない。

 アメリカ国民の、直感が、もしそうであったら、世界はまだ、少し救われる。ロシアがウクライナを侵略し、中国などが傍観を決めこんで、ほぼ力を失っている戦後世界政治理念は、やはり国際政治に力を持つアメリカが主導して構築していかねばなるまいと、キシダ宰相の非力をみながら感じている。善戦とはいえ、共和党が半ばを制しているから、民主党政権への評価は、相変わらず厳しいものがある。バイデンが残る二年間に何をしてくれるか。観客席から声を潜めてみているのである。

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