仕事をしている間の私には職を同じくする山仲間がいました。声をかけられ、あるいは声をかけて共に山へ入ることをしていました。ところがリタイア後は、仕事現役の山仲間とは繋がりが薄くなり、私より先にリタイアした先輩たちに声をかけられることが多くなりました。時間はたっぷりとある。ニューギニアパプアのウィルヘルム山、ヒマラヤのカラパタール、キリマンジャロやイタリアのドロミテなどなど海外の山へも連れて行ってもらっていました。しかし加齢もあってか、いろいろな障害も出来し病にもなり、身辺の変化もあって、山に同行する昔の山仲間が年を追う毎に少なくなって来ました。。
幸い私は山歩講という山の会をつくる運びになり、同行者のいる山行を続けることができました。それが9年も続いたというのは、思わぬ僥倖と言わねばならないと80歳を超えてひしひしと感じています。そういう人との関わりについてこんなことを書いています。
★ 「人」に託して「わたし」が立つ
今の社会は自立した個人を前提にして成り立っている。生活的には自立であるが、同時にそれは個々人が自分のことを自ら決めるという自律を意味している。だが、自分のことを自ら決めるとはどういうことか。そう考えると、個々人の考え方だけでなく、世の中の風潮が指し示す方向もとらえておかねばならない。人の欲望は社会的に発生するものだからである。ことに女性の自律となると、ジェンダーがもたらす社会的な佇まいと切り離せない。その相剋と相乗も視野に入れる必要がある。
なにしろ日本は、男社会である。家族制度の影も色濃い。そうした社会で、女が自律をするというのは、「個人」の意味するところを「男」との関係で位置づけないではいられない。じつは社会的背景を取っ払ってしまえば、「男」も「女」との関係で位置づけないではいられないのだが、世の中の潮流はそれを無用とするくらい、男中心にかたちづくられている。つまり「女」が男を軸として自らを位置づける以外に、自律の道筋は得られないのである。「男」は社会的な空気に育まれて、いつしらず自らの自律の根拠を手に入れているのである。
その自律の苦悩を、「男」や「女」を問わず、戦前と戦後の一億総中流の時代とを行き交いながら探る物語が、桐野夏生『玉蘭』(朝日新聞社、2001年)に描かれている。時代を半ば戦前と対照させながら、しかし今の時代の自律の問題に焦点を合わせて、身の裡に語らせる手法は、さすが桐野夏生だと思わせて、圧巻であった。もちろん「自律」という言葉は一言も出て来ない。生きている安定点というかたちで内面に起ち現れている。
桐野が描き出す自律のかたちは、「わたし」の自律は「人」に託したところに立ち現れるというもの。関係的に人の在り様をとらえようとする桐野の視線が好ましい。「わたし」のレゾンデートルが「他者(ひと)」にあらわれるというのは、共に生きるということそのものであり、そのかたちは人の身そのものの在り様を指し示している。個の自律が「わが身」を「人」に託すことに現れるのは、何とも皮肉であるが、人というのがそのような存在の仕方をクセとして持ってきたことに由来すると考えると、得心が行く。文字通り「人閒」なのであった。
その屈曲点が、身を棄てる地点に現出するというのも、年を取ってからではあろうが、腑に落ちる。世の中の授けたさまざまな観念を自ら棄て去った地平に、「人」に託したかたちではじめて自律は自らのものとして姿を見せる。「関係」のあわいに「人」が見事に浮かび上がる。これは、女ではないが、数えの80歳を迎えたワタシの感懐に近い。
「追い書きーー躰に聞け!(3)」に記した(a)から(c)への山歩きの変容には、私の無意識の思惑が働いていたと、この文章は言っています。「個人は自立/自律しなくてはならない」という無意識です。山の会の人たち個々人が、自律的に山へ向かうこと。主宰者である私から言うと、「案内して貰う」ではなく「一緒に山に登る」ようになってほしいという無意識の思いが、歩き方の評価になり、時に苛立ちになり、ぶつかったりして、「ちょっと厳しい物の言い方です」と諫められています。
こうしたことが素直に受け容れられるようになったのは、全く私自身が遭難し、身の不自由を体感し、わが身がいつしか染みこませてきた心の習慣さえ、アタマで動かしていこうとしていた「逆立ち」に気づいたからでした。
躰に聞け! わが身に問いかけ、感じていることをセカイに位置付けて全身で受け止めていく。そうした心の習慣と自問自答しながら歩き続けよ。そう窘(たしな)めらているように思いました。
こうして2020年4月半ば過ぎに、四国の「ぶらり遍路の旅」へ向かいました。この八十八カ所巡りもじつは、退職して後2005年に、一年早くリタイア生活に入って経巡っていたカクさんの話しに刺激されて足を運んだのでした。5日間ほど、19番札所・立江寺まで行って帰ってきています。今回は立江寺から37番札所・岩本寺まで16日間、440kmを歩いて「飽きちゃって」切り上げています。草臥れ果てていました。一日平均27・5kmの歩行に、70代を終える躰が十分に答えを出しています。
こうして山の会にケリをつける決心がつきました。遭難事故報告の末尾に「山歩講の今後について」として、いくつかの思い付きを記しましたが、もうそんな余力は残っていないことを思い知らされたようです。その後に会員のミウラさんから「元気になったら一緒に歩きませんか」とお誘いがあり、そのとき「山歩講のネットサイトを作る」といっていたことはどうしましたか? と催促がありました。全くのごめんなさいですね。その旨のご返事を差し上げましたが、せめて「本にする」と言った「9年間の記録」だけはまとめようとして、やっとここへこぎ着けました。
あらためて、長い間お付き合い下さったことに感謝します。ありがとうございました。
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