一泊二日で静岡県の紅葉狩り。初日は県西部のお寺と神社を巡る。気配では、浜名湖近くにまで脚を伸ばしたようであった。だが森も山もまだ、緑々している。遠州森町と聞いてすぐに石松を思い浮かべたのは、やはり戦中生まれ戦後育ちの広沢虎造浪曲世代だからか。なんと大同院の入口には森の石松のお墓がある。そればかりか、本堂にお参りすると、三度笠を被った森の石松のミニチュア銅像が、ご本尊というより前座を務めるかのように鎮座している。曹洞宗って、武士の心構えかと思っていたが、任侠の世界も組み込んじゃうって、オモシロい。こんなに自在なわけ?
とはいえ、境内に入るとしっかりとモミジが彩りを添えて、本堂の後ろに控えるお山の深い緑を背に、世の移ろいを象徴するように、淡く儚く美しい。鐘撞き堂の四隅の支柱の合間から覗く黄色と赤に染まった木の葉が日差しに照り輝き、梵鐘の暗さと見合って見事な情景を演出する。カエデの仲間が植栽に用いられ、緑の森の中に見事に映える。あるいは、本堂の高見から石段下を見下ろしたときの木々の合間を彩る赤や黄色の葉の色の見事さ。紅葉はやっぱりお寺さんだなと思った。
次に訪ねたのは、そのすぐ近くの小国神社。ガイドが入口の紅葉が一番ですかねと言っていたとおり、鳥居をくぐるとほとんど紅葉は、ない。神と人の仲立ちをするという鉾執社(ほことりしゃ)の祠の脇に小さなイロハモミジが一本。広い池の中にかけられた朱い神橋のを場に黄色く染まるカエデが二本という具合。代わって、樹齢が一千年という「大杉」が「御神木」の名を付されて何本も屹立する。そのうちの一本は昭和47(1972)年の台風で倒れ、切り払われた大杉の、周囲9mの株が残されている。切り株の上に檜皮葺きの屋根がかけられ、その屋根に草生す苔がびっしりと生えている。こうやって樹齢に相応しい処遇をするのだと思った。またぽつんとオオモミジが朱く染まって一本立つ。
初めは何本かの木が大きくなるにつれて合体し、絡み合い大木になった「ひょうの木」というのがあった。説明書きには「イスノキ」とか「ユスノキ」と呼ばれるというので、ああ、檮の木だとわかった。高知県の檮原町の名の由来となった木だが、その由緒由来が「古事記」などから説き起こされて記されている。
本殿も人が列をつくって参拝しているが、ここも紅葉らしき彩りはこれといって、ない。信仰心がない私は、なんでここが「紅葉見物」の舞台なのかわからないなあと思いながら、表参道を外れた小川沿いの道を戻ろうと東の方へ寄って、驚いた。
小川の上流からずうっと覆い被さるように黄色と赤に染まる紅葉に覆われ、少し西へ傾いた日差しが差し込んで、ひときわ彩りを輝かせている。そのまま帰路に着くのが惜しく、上流部へ踏み入り、石伝いに小川を渡って対岸の小径へ上がり、そちらの森を抜けて駐車場の方へ降りていった。イヤなるほど、これは見事。紅葉は寺社に似合うと、神社もつけ加えた。
最後の訪ねたのは油山寺。真言宗智山派のお寺さんという。筆塚もあり、そうか、弘法大師は三筆の一人だったと思い出す。奥へ奥へとガイドは行けという。「一万年の極盛相」と銘打つ「天狗谷の自然林」へ分け入り、最上段に瑠璃光如来の幟旗を掲げた薬師如来をご本尊とする金堂が甍を聳えている。途中の滝の水で眼を洗うと眼病にも効くといい、「足腰の守護神」を標榜する大権現も祀られている。庶民信仰の願いを全部引き受けて御利益を授けてきたようだ。
こうして効用/紅葉巡りをして宿に向かったのが、掛川のつま恋温泉。いや、話を聞くまでここがあの吉田拓郎やかぐや姫や中島みゆきのつまごい音楽フェスティバルの会場とは知らなかった。ずうっと群馬県の嬬恋村を会場としているとばかり思ってきた。聞けば、ヤマハの設えたリゾート地だとか。東京ドーム何十個分という広大な地域を開発して宿泊施設ばかりでなく、ゴルフ場やテニスコート、ゴーカートから野外フェスを行う広場など、ゆったりとした場を設けている。宿泊施設も、露天風呂へ行くのに巡回バスに乗ってゆくという。もう暗くなった時刻に着いたために私は館内の大浴場にいったが、それも、南館から北館までフロント間を通って600mほど歩くという遠さ。こういう場を宿につかうのなら、それこそ連泊して、どうぞ、ごゆっくりというのでないとイケナイ。
こういう遊びに縁のない暮らしをしてきたのだなと、わが人生の偏りを発見した気分であった。(つづく)
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