埼玉県からみると、岐阜県というのは遠い中部地方という感触がある。長野県には埼玉のお隣という親近感を感じる。その長野の西隣の岐阜県を遠いと思うのはどうしてだろうか。よく山登りをしてきた私には、岐阜県というより木曽谷という方が耳に親しい。面積は埼玉県の2・8倍もある。全国第7位。青森よりも大きい。知らなかった。印象としては南北に長いと思ってきた。ところが、東西にもずいぶんと大きい。
一昨日から、その岐阜県の南部を往き来してきた。東南端は、長野県の天竜峡と境を接し、高速道では恵那山トンネルから岐阜県がはじまり、西の端は滋賀県と境を接する、御存知、関ヶ原までの約150km。秋の彩りをみてこようという旅行会社企画の1泊2日の旅。
中央線の特急あづさで茅野駅に降り、バスで諏訪湖から天竜川沿いに恵那山トンネルまで伊那谷を南下。生憎の空模様だが、車窓からの紅葉は煙ながらも色づきが進んでいることをみせる。天竜峡のPAで車を止める。JR天竜峡駅から天竜峡大橋までの両岸に遊歩道を設え、春には桜、秋には紅葉を楽しむことができるという趣向か。天竜峡の川下りも行っている。高速を頭上に走らせ、その下に遊歩道が設えられている。眼下50mに天竜川が蛇行し、その川を横切ってJR飯田線が豊橋へ向けて南へと走っている。大橋の上からの川の流れと山肌の色合いは、すっかり秋色だ。眺めているとちょうど北へ向かう特急電車がやってきて鉄橋を通過する。対岸の施設は目下工事中であったが、植栽された冬桜だろうか、桜が一重の花をつけている。その桜の花とその向こうに点在する民家の佇まいが気持ちを誘い、つい奥へと足を向けさせた。
長い恵那山トンネルを抜けて岐阜県に入る。恵那峡の食堂で遅い昼食のすき焼きを摂る。飛騨牛に松茸がウリのご飯だ。すぐ近くのホテルにチェックイン。まだ3時前。部屋に入ると目の前に湖がある。木曽川を堰止めて大正期に作られた日本最初の水力発電所となる大井ダム。この上流域を恵那峡と呼んで、観光船が往き来している。生憎、湖上は霧が濃く船は欠航。湖に張り出した出島のような土地に、ダム制作者の福沢桃介公園とさざなみ公園が整備され、ぐるりと周回する遊歩道が設えられている。傘を差して歩く。マガモやホシハジロ、オオバンが浮かんでいる。雨なのに人影が結構多いのは、近隣のホテルに来ている人たちか。宿泊ホテルの周りを経巡るルートには、入口の少し先のところに「土砂崩れのため通行禁止」の表示があった。行けるところまで行きましょうとカミサンはいい、腹ごなしだと思って進む。一部斜面の土砂崩れがあった気配が感じられたが、歩けないわけではない。森を抜けるように大きく回り込む坂道があり、そこを登るとホテルの正面に出る道に出た。
24時間OKの宿泊ホテルの温泉は、30分単位で入浴エントリーをするという感染症対策。夕食前の時間帯は部屋番号と人数がびっしりと書き込まれていたが、それはどうも見掛けのようだ。エントリーをしてきていないのか、風呂は空いていた。露天風呂から先ほど歩いた出島が一望できる。ところがカミサンに言わせると、女風呂の露天は「塀に囲まれていて最悪」だったという。伊香保温泉などでやっていたが、夜と朝で男女の風呂を入れ替えるのかと思っていたが、そうではなかった。岐阜というのは相変わらずの男社会なのかな。女性客を大事にしないとホテルは栄えないよと思ったが、むろん誰にもそんなことは言わない。
翌朝は一転、快晴。風がないらしく、部屋の窓からみる湖面は対岸の小山を写して薄明かりなのに紅葉が美しい。出島の散歩道に灯された灯りが湖面にも映って幻想的な景観を醸し出している。ちょうど左の方から霧が立ち上り、小山と湖面の間を覆うようにたなびく。朝日が山の山頂部を明るく照らしはじめ、またひときわ雰囲気の違う景色に変わる。
朝食は7時、出発が7時50分というのは大忙しだ。5分前にバスに乗ったら、ほとんどの人たちはもう座っている。いかにも年寄りたちの旅だなと、自分のことを棚に上げて思う。でも私たちよりあとに5人ほど後れて来た人たちがいた。最後の2人くらいは出発時刻に遅れていたが、まったく気にする気配はなく、ああ、これも、年寄りの旅だと思わせた。
2日目は美濃三山という神社ひとつとお寺二つをめぐり、その紅葉を堪能すると案内書きにはあった。だが標高はどんどの低いところへ向かう。大矢田神社はちょうど背中から陽光を浴びるようにして本殿へ向かった。振り返ると色合いががらりと変わって紅は紅、緑は緑、黄色は黄色と輝きが深みを増し、そのグラデーションの移ろいに驚かされる。その色合いの合間にみえる社の檜皮葺きの屋根が渋い。
この神社の脇には天王山禅定寺があり、かつては神仏習合であったことがうかがえる。だが、廃仏毀釈によって寺の方は打ち壊され、影を潜めて過ごす時期が長く合ったようだ。そういう気配を残して、今は神社に看板を譲り、禅定寺は本体をしっかりと再建して存在感を訴えているようだ。
そこから岐阜県の最西端に近い関ヶ原の食事処へ向かう。まだ11時というのに、大型バスが何台も入れる大規模な駐車場をもつ食事処で、三大牛食べ比べの昼食を摂る。伊吹山が手前の山の片隅にちょっぴり山頂部をみせる。このとき始めて岐阜県の広さというのを実感し、帰宅後調べてみて埼玉県の2・8倍余あることを知った。山間部をかかえているから単純に比較はできないが、列島の中央部に大きくドンと座って、文化的な東西の分岐点として存在感を示してきたことを、あらためて思った。
午後、岐阜県の少し北の方へ寄り、両界山横蔵寺を参詣する。バスの駐車場から川沿いに500mほど歩いて参道に入る。36歳僧侶の即身仏があるというので、500円の拝観料を払ってみさせてもらった。座禅を組み、顔を斜めに傾げて苦悶の声を上げているように見えたのは、私の内心が映し出されたのであろうか。向かいの社殿には12神將像が午年から巳年まで呼び名を記しておかれている。広い敷地をゆっくりと散策しながら一巡りする。こうした時間がゆったりと取ってあるのが、この旅のいいところか。
不思議なのは、それほど標高が高いと思われないのに、紅葉の彩りが見事であること。カメラのシャッターを何度も押した。
次に訪れた谷汲山華厳寺は、バス駐車場から1㌔ほどの石畳を歩いて山門へ向かう。そうそう、谷汲山というのは地名でもあって、「たにぐみ幼稚園」とか「谷汲小学校」というのもあった。どちらが先かわからないが、いい地名の残し方だと思った。その道筋の両側のモミジが見事に紅葉していて、まるでモミジのトンネルを抜けてゆくようだ。参道両側のお店には「満願線香」と銘打った品物を売っている。この寺は西国33ヶ寺の最後のお寺さん。ちょうど3人のお遍路姿の女性がお参りしていた。カミサンが何か話しかけ、ここで満願成就というので、「おめでとうと言ってきた」と歓びのお裾分けを貰ったように話していた。
ま、余り信仰心のない私としては、美濃三山というのも紅葉狩りの社寺というのでよかったのだが、見事に時季を得て、目下山歩きのできない目の法要をした二日間であった。帰宅したのは夜の11時。驚くほどの強行軍であった。
0 件のコメント:
コメントを投稿