承前。2日目、つま恋リゾートを出発するのは8時15分。ゆっくりであった。そうそう、とんでもない失敗をするところであった。朝食に行って部屋に戻る時間があまりないことから、大きな荷物をフロント前に預けるとしていた。だが、わりと時間はゆったりとあり、歯磨きやトイレもあって一度部屋に戻った。出発時間になってバスに乗ろうとしたとき、カミサンがバス・トランクの荷物を確かめなくちゃと覗き込んだ。
「ないよ」
という。えつ、自分で持ってくるの? と聞くと運転手がそうです、と応える。慌ててフロントのところへいくとポツンと一個だけ私のキャリアバッグが置いてある。あぶない、あぶない。そう言いながらバスに戻るとカミサンが、
「キーは戻した?」
と聞く。ああ、そうだ。ポケットに入れたまんま。キーをフロントへ持っていく。ま、こうして無事に出発したのだが、大分ワタシは怪しくなっている。
掛川から大井川に沿って遡る。大井川がこんなに幅の広い川だとは思わなかった。いま水の流れているところは細いが、砂地が広がっている。上流にダムもなく、雨の多い季節ともなると越すに越されぬ川となったのであろう。何度も山をくぐるトンネルを通過する。一行は17人、中型のバスであるわけが分かる。すれ違うこともできないところが随所にある。2時間ほど走って大井川鐵道の千頭駅につく。ここは大井川線と井川線の乗り継ぎ駅。井川線はアプト式鉄道になっており、この千頭駅で車両も代えなければならない。バスはしかし、更に奥へ向かい、接岨峡温泉駅近くまで私たちを運び、そこから千頭駅へ向かう井川線に乗せる。接岨峡温泉は南アルプスの最深部・聖岳や荒川岳、赤石岳などから流れ出る大井川の源流からの流れを受けた畑薙ダムの下流に設えられた井川ダムの下にある盆地状の集落。ここにもお茶畑がある。鉄道は1時間に一本くらいの割合で、更に奥の井川まで往復している。
私たちはトロッコ電車(と呼ばれている)でひと駅だけ、わずか6分ほど乗って、奥大井湖上駅で電車を降りる。ここは大井川が大きく蛇行しているところへ天狗石山の稜線が突き出している先端部分に、少し下流の長島ダムにせき止められた湖を渡る橋を架け、ポツンとひと駅設けているだけのところ。駅舎の上には「湖上駅cafe」が置かれているだけだが、観光客が押し寄せているせいか、駅員が二人ホームにいて整理に当たっている。線路に沿って湖上を歩く歩道が設けられ、駅から50mくらいの標高差を上る階段のついた遊歩道がある。それを伝って対岸の上の方を走る道路に出たところでバスが待ち受けているというコース。遊歩道は往きと帰りの人でごった返している。風もなく、雨の予報を裏切って曇り空。薄日が差して、最高気温12度といっていたが、寒くもない。
バスに乗り、少し千頭よりへ戻ったところから西の方へ道をとり、寸又峡へ向かう。行ってみて、行く前の私の記憶に勘違いがあったことに気づいた。昔南アルプスを縦走したとき、その日本百名山の最南端を聖岳と思っていたのが、じつは光岳であった。光岳を下山して、寸又川の左岸を21km歩いて辿り着くのが寸又峡であった。
そのときのイメージでは小さな集落と思っていた。ところが入口のバス停は広く、旅館や土産物屋が軒を連ねる。結構賑わいのある山間の集落。15分ほどは食べ物屋や温泉施設のある町歩きの感じ。中ほどのお店で、炊き込みご飯の握り飯を売っていたので、それをお昼にしようと勝手リュックに詰める。お兄さんは、「この町(のウリ)は温泉だね」と言っていた。1968年の金嬉老事件で立てこもった旅館のことを訊ねると、お兄さんは「ああ、そこだよ。左っかわ」と指さす。事件後人手に渡ったが、手入れはちゃんとしてあったそうだし、金嬉老自身、「ずいぶん迷惑をかけた」と恐縮していたと話してくれた。西側の広い庭に向いた明るい家であった。
ほどなく町が切れるところにゲートがあり、その先が寸又峡のハイキングコースになっている。大間ダムもあるから、作業従事者の車は通過しているが、一般の人はゲートをくぐって、「環境美化募金」の寄付をして「寸又峡プロムナードコース」へ踏み込む。
寸又川の源流は光岳とあるのに、おにぎり屋のお兄さんはすぐ西側の山を指さして、光岳ってそこだよと言う。昔あった登山路も今は廃道だとつけ加えた。えっ、下山して歩いて21kmだったはずと私は返すが、自信たっぷりに「そこだよ、そこ」と繰り返す。あとで駐車場に「山岳図書館」というのがあったからそこへ入って地図を調べてみた。やはり私の記憶通り。光岳はやはりう~んと上流。寸又峡の右岸へ出て来るルートになっている。
川の上流に天子トンネルがあり、それをくぐったところに大間ダムがあり、湖は「チンダル湖」と名がついている。チンダルってなんだ? この湖の色がエメラルドグリーンやコバルトブルーに見える現象のことを「チンダル現象」と、イギリスの物理学者の名前を採ってよぶらしい。その湖の湖上に吊り橋が架かっている。「夢の吊橋」と名がついているが、目下そこへの通路が崩落して通行止め。ただ上の散策路から湖面が見え、そこに架かる長い吊橋が一本、見える。木の間越しにみえるそれは、ヒロハカツラやミズナラ、コシアブラ、メグスリノキなどカエデの黄葉に彩られて、美しい。昨日の寺社に似合うのは紅葉の方で、やはり野に置け黄葉やカエデってことか。
往復2時間ばかりの散歩道。杖をついた人や二人の人に両腕をかかえられた女性が奥の飛龍橋まで歩いて往き来している。湖側もさることながら、山側も急なガケ。落石防止の金網が二重に張られている。所々、大きな穴が空き、崩落が止まらない気配を感じた。
更にその奥の尾崎坂展望台までは健脚の方だけとガイドは言っていたが、飛龍橋から片道10分くらいのところ。その先は、「工事関係者以外は通行禁止」とあり、扉で閉鎖されていた。驚いたのはその展望台のトイレ。新しく、ウォシュレットであった。大学生だろうか、若い男の3人組や小学生の子ども連れの親子などが元気に歩いてきていた。
この日の歩行は、21700歩。16kmになった。今年の黄葉・紅葉は少し早いとガイドは言っていたが、寸又峡の黄葉はちょうど頃合いも良く、色合いも見事であった。そうそう、紅葉・黄葉について一つ感じたこと。お寺や神社もそうだが、野に置いても黄葉・紅葉が見事なのは、切り取り方によるのではないか。寺社の建物や樹林、野に於ける木の間越しや湖の色合いと形、あるいはメタセコイヤのすっくと立ち聳えるような黄葉が背景の緑の山肌との対照でひときわ美しく映える。それにわが美意識がくすぐられているのではないかと感じた。面白い旅であった。
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