2022年11月29日火曜日

溜めが利かない

 モンティ・ライマン『皮膚、人間のすべてを語る』(みすず書房、2022年)を、まだ読んでいる。少しずつ、毎日不思議を感じながら読む。記述されたメカニズムを私は、実はよくわかっていないと(なぜか確信に近い感覚で)思っている。ただ全体イメージが、何となくつかめて不可思議さに満たされて「ワタシ」の身を感じる。もうそれだけでいいような気がしている。

 30兆個もの細胞がワタシをつくってるんだって。最大それに3層倍する微生物が、細胞のあちらこちらにくっ付いているっていう。えっ、100兆個だよ。そりゃあ凄いね。そんなにたくさんのウィルス規模も含めた微生物の棲み家にわが身がなっているなんて、どこに潜んでいるんだろう。ライマンさんは、皮膚の表面の凸凹の合間に潜むシラミのことも書いているから、微生物採集の旅にも出たのだろうか。

 おっと、細胞や微生物を、一個二個と数えていいのか。生物学の研究者はウィルスなどのことも一頭二頭と数えると、昔、本で目にした記憶がある。とすると、30兆頭の細胞と100兆頭の微生物が一頭のわが身に潜んでるってワケか。わが身も大宇宙だな。

 その記述の中に、アトピー性皮膚炎のことを書いている件があった。むろんいろんな食品が作用もするらしいのだが、赤ちゃんの時に「おしりふきを使いすぎて石鹸成分が肌に残り、脂質のバリアが乱れる」とあったのには、驚き以上の衝撃があった。「おしりふきやウェットティッシュがどこまで関係しているのかはまだわかっていない」と断っているから、決めつけているわけじゃないが、思わぬ伏兵って感じがした。

 そうだよね。80歳になったわが身さえも、子細にみればよくわからないことだらけだ。昨日、冬タイヤに履き替えた。今の車に変えた8年前までは、タイヤの履き替えは自分でやった。今の車になってからはタイヤ館へ持っていって、やって貰うことにしてきた。履き替えて家へ夏タイヤを持って帰り、庭に入れて、車を駐車場へ戻しに行こうと思ったとき、尿意を感じた。ま、まだ保つだろうと車を駐車場に置きに行ったが、帰ってくるときには、走るように戻ってトイレに駆け込んだ。感じてから、催すまでが驚くほど短くなっている。なぜこうなるかわからないが、膀胱の溜めが利かない。ほんのつい先頃、70代にはまだまだ溜めが利いたように思う。機能的な劣化が発生し始めている。短くなるが身近になる。

 カミサンに話すと、「そうよ、赤ちゃんも年寄りも、お漏らしの世話、って言うのよ」と笑っている。そうか、女性って強いなあ。こんなことで驚いたりしないんだ。わりとライマンさんのように、「おしりふきやウェットティッシュがどこまで関係しているのかはまだわかっていない」とクールにみているんだ。これも凄いねと、感じ入る。

 午後、録画したアニメを一本観た。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」、事件後の京アニ制作の作品という。カミサンは劇場で観たそうだ。主人公が、彼の人と会いたくてしかし会えないとわかって、船に乗る。ああ、ここで終わりだと思って私はトイレへ立った。だが、エンドロールへ入る前に、その後のハッピーエンドへの道行きが、これでもかとばかりに描き込まれている。う~ん、リアルとセンチメンタルとは違うんだよなあと思いながら、でも、こうやって、亡くなったアニメータのことを心裡で落ち着かせなくちゃならない人もいるわなと、エンディングはどうでもいいように思っている。

 夕食に蕎麦を打った。左手掌がうまく動くかどうか。年越し蕎麦が打てれば、先ずは今年もうまくいったと笑って過ごせそうだ。信州の蕎麦。はてどこで買ったろうか。まだ痺れの残る左手掌を使って粉を捏ねる。水をケチるように少しずつ加えて、頃合を測る。何となくうまく運んだ。延べると結構大きく広がった。1分40秒、湯がく。うむうむ。うまくいった。腰も強くいいできあがりだ。天ぷらの掻き揚げが美味しい。左手掌の中指の第二関節が痛む。ま、この程度なら無事に年は越せそうだと、まだ十一月なのに、年越しを思った。

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