少し長時間歩くという意欲が甦ってきた。昨日の記事、3時間半ほどの歩きで疲れを感じている。これでは「ぶらり遍路」もおぼつかない。四国の気温を考えると、2月中旬から3月にかけて、今度は「ぶらり遍路の旅」の続きをやろうという思いが湧いている。3ヶ月半ほどをかけて脚力を鍛えねばならない。あわせて、4,5月に「飽きちゃった」轍を踏まないよう思案しなければならない。この思案も気力による。
も一つ思案しているのが、お酒。週6日ほど夕食時に杯を傾ける。3:7で割った焼酎のお湯割り1杯がクセになっている。それからTVを観ながらボーッと過ごし、風呂に入って9時に就寝というのがいつものパターン。昼間しっかり歩いていると、朝5時過ぎまで起きないで熟睡できる。ちょっとどこかの調子が狂うと夜中に一度トイレに行く。謂わば私の体調管理のバロメータだ。
昨日は5キロほど先の市立病院へリハビリに行った。涼しいというよりもちょっと寒くなって、歩いても汗をかかない。日差しを受けながら往復2時間ボンヤリと車の少ない住宅街と畑の通りを往き来するのは、心地良い。そして夜の一杯。9時の就寝。そして今朝は5時24分の目覚め。これが順調に感じられるのは、左手掌のリハビリが(長い目で見ると)着実に良くなっているからであろう。物を摑むことができる。力を入れると痛みが走るが、軽くタイピングするのは一部の指を除いて、まずまずだ。
それもあって、昨日から4月に出版社に送っていた「70代の山歩き――山歩講8年の記録」を仕上げる気持ちが再び湧いてきた。いや、実は三度だ。
最初は2021年3月に仕上げた。だから「8年」である。その直後、4月に「私の遭難事故」があった。その後の長いリハビリ。その間に山の会は事実上終了し、会計担当をしていた方に、残金の処理をして貰った。「終了」とし「解散」としなかったのは、私の手を離れて会員たちが随意に山歩きをし始めていたから。同行できないが、私も何らかの貢献ができるかなと思ってもいた。でも思うだけで、心持ちが動きを伴わない。
だが何とか気を持ち直して取りかかった二度目が今年の3月。4月に出版社に原稿を預け、私が傘寿を迎える十月までに仕上げるので良いと依頼して、「ぶらり遍路の旅」に出かけた。帰ってきて、その「遍路のご報告」を出版社に送ったら「ちょっと慌ただしく、一月後くらいに取りかかる」と返事が来ていた。7月に左手掌の手術をしたことが、思わぬほど大きく長引き、未だにリハビリに通う羽目になった。それもあって、当初目指していた十月には間に合わないと判っていても、別に出版社に請求するでもなく、放っておいた。
こうして今、11月を向かえて三度目の出版意欲に辿り着いた。「8年の記録」が「十年の記録」になる。そうだ、ちょうど70代の記録になる。「はじめに」と「おわりに」に手を入れて、書き足すだけで良さそうだ。ちょっと厄介なのは、400字詰めで約2千枚になること。分冊にするのが良いといわれるかも知れない。校正には手がかかるだろう。ま、そこは成り行きに任せて、デザイン編集を味わいながら、できれば2月のお遍路出発前に仕上がるといいなあ、と考えるともなく思っている。
昔は十一月になると、一年の疲れがたまってか、どちらかというと気持ちが沈みがちになっていた。仕事をリタイアしてからはそういうこともなく、後ろを振り返らないで日々を送るようになった。ことに65歳の高齢者になってから記しはじめた「よしなしごと」が時間を往来してわが身の裡側を覗き込むような恰好になったからか、外向けの形(なり)には構わなくなった。人にどう見られてもいい、わが身に感じる不思議だけは少しでも解きほぐしていこうとするようになってからは、身が軽くなった。
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