2019年12月10日火曜日

「忘れる―忘れない」を共に生きる


 昨日の(4)《鏡に映る姿を認知することについて、それは「じぶん」であるが、「じぶん」ではないと相反するコトを同時に受け容れること……絶対矛盾の自己同一》は、私たちの日常に満ち溢れている。「ことば」は、自分が発するものであっても、自分のものではない。社会のもの、他人との共有物である。自分が発した言葉も、一度発せられてしまえば自分のものではない。受取り手のものになり、であってみればとどのつまり、自分が発した言葉は自分のものでしかないという達観にも通じる。


 そういう絶対矛盾の自己同一がここにもあるよと、今日(12/10)の玄侑宗久の言葉が伝えている。朝日新聞「オピニオン&フォーラム」欄「忘れる=心の声聞くこと」。

 亡くなった人を悼む「年忌法要」という周年行事は、《日々移り変わって忘れていく「無常」と、こころに突き刺さって忘れられない「あわれ」という対局の概念が併存しています》と指摘する。そして、《「忘れる」けれども「忘れない」。この矛盾する心情の積み重ねが、複雑で奥深い日本の文化をかたちづくって来たのではないでしょうか》と続ける。

 この矛盾的自己同一を、日本文化の特質に限定する理由は、どこにもない。何処の地にあれ、亡くなった人を悼む心もちを矛盾的に抱え込むやり方を、それぞれの地の方法でかたちづくってきている。鳥葬や風葬、水葬、土葬、あるいは骨上げー洗骨ー埋葬というかたちもあれば、どこへ埋めたかをわからなくするモンゴルやボルネオの習俗もある。それがタブーを生み、儀礼としての年忌法要につながったりもしている。

 玄侑の展開は「記録」することよりも、「思い出す心の働き」に注目し、「思い出すべきことを思い出す」「思わぬことを思い出す」ことを大切にしたいと転がっていく。その転がり様はともかく、絶対矛盾的自己同一の日常が、社会的動物であるヒトの平常的在り様(=実存)だということを胸にとどめておきたい。

 ところが近代社会の(欧米的)倫理や論理は、それを二項対立的に善悪に分けて他方を排除するようにふるまってきたし、あるいは弁証法的発展と呼んで一直線の「進歩史観」上においてしまった。ここには、善悪二元の根拠に目をつぶるとか、ヒトの持つ「時間」に関する観念がどういう事情のもとに生まれたのかを省略している。ヒトが自然とともに生きてきたことへの「理解」の始発点から違いが生じているのである。

 進化生物学や文化人類学、霊長類学など諸科学の研究が、ヒトがつくりあげてきたさまざまな振る舞いや習俗という文化的諸物の淵源と由来に思いをいたし究めることが、近代社会の力によって築かれたデファクト・スタンダードに疑問を呈していくことにつながる。そこに、国境をもたない諸科学と思念の開かれた窓口が見えるように思う。

 でも、諸科学の専門家でない私たち庶民が、その窓口に向かう足場はどこにあるのか。言うまでもないことだが、どのような諸科学も無視しえない「第一次資料」を私たちは持っている。わが身であり、わが暮らしであり、わが社会であり、わが諸関係である。それこそが、ヒトが今日に至った諸関係の総堆積として、呆然と存在している。それを対象として「意識」し、厳然と屹立させることによって、諸科学の成果と照らし合わせて真贋を見極める。それこそが私たち平凡な、日々をボーっと生きている庶民の、立脚点である。

 「意識」するとは言葉にすること。真贋を見極めるとは、諸科学の成果をわが身を通して味見をすることだ。そのリテラシーとやらが、あるとかないとか、専門家は謂うであろう。なに、構うことあるものか。リテラシーがあろうとなかろうと、いまあるわが身が、ヒトの実存の現在である。怯懦を棄てよと、昔の人は言った。バカの壁にへこたれるなとベストセラー作家も謳った。どうせ終着点があるものではない。「思わぬことを思い出す」面白さを、ボーっと生きてきた中から拾い上げて味わってみようと思うのである。

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