2019年12月16日月曜日
問題浮上のいきさつ(1)「教育の謎」
現役の教師をしている50代半ばのkさんと、教師という仕事について、少しばかりやりとりをしています。この方は副校長をしていたのですが、現場での身の処し方に行き詰まりを感じて、平教員に戻りました。あっ、いまは平教員も階層があって平教諭と主幹教諭とあるそうですから、主幹教諭に降りたわけですね。
夏の終わりごろに、このkさんから長文の「2019の構想」と題されたレポートが送られてきました。ここ7年間に考えてきたことをまとめたもの。「中身としてはまだ人にお見せできる段階ではない」「ご意見をいただいて、仕切り直しをするべきは仕切り直して、前にすすみたい」と記していますから、いずれ手を入れて発表するつもりの「草稿」だと思います。ま、いわば「査読」を頼まれたのだと受け止めました。
「2019の構想」は、じつはA4版で93ページもあるものでした。冒頭の3ページで「Ⅰ テーマ」として、執筆全体の狙いを記しています。私は、その冒頭3ページを読んで、あとを読む気力を失いました。「査読」の役を果たすには、なぜ気力を失ったかを正直に書いて返事をするしかありません。A4版で8ページになる、27項目にわたる「メモ」を記して送付しました。10月初旬のことです。そして、そのことをすっかり忘れていました。
12月に初めにkさんから「2019の構想最初の見直し」と副題のついた便りが届きました。私は勝手に「第二稿」と名づけておきます。A4版ページ。
冒頭のタイトルに、「F先生」と呼びかけていて私を驚かせました。この方とは四半世紀の付き合いですが、「先生」と呼ばれたのは初めてです。何しろ私は、高校や大学で教師をしてきましたが、同僚の教師のことを「先生」と皮肉を交えずに呼んだことは、一度もありませんし、私のことを「せんせい」と呼ぶ同僚には「よしてください、あなたの先生ではありません」と返していたからです。教師になりたての頃、教師がお互いを「先生」と呼び合っているのを奇異に感じ、「○○さん」と先輩教師たちを呼んだために「生意気だ」と毛嫌いされたことがあります。kさんは、副校長になっていたこともあって、関係する教師のことを「先生」と呼ぶようになったのだと思いました。「学校方言」に染まったのか、あるいは皮肉を交えているのか。
kさんは私の「メモ」の指摘を3点にまとめ、それぞれについて彼がどう考えていたのかを叙述しています。
(1)学者のように問い、無限定な「正しい教育」を構築し、「無限定」な解決策を示す。
(2)「合意形成」と「信頼構築」をめぐる問題
(3)「学校の変容」を巡って
そのあとに《(4)「2019の構想」を換骨奪胎し、「2020の構想」へ》と題してA4版7枚の骨子を記しているのです。
(1)の標題は私の批判的メモから取り出したものです。それをkさんはほぼ全面的に受け入れています。ですが、こういっては身もふたもないかもしれませんが、(1)のようなことは、身に沁みついたクセのようなものですから、そう簡単に着替える体のものではありません。彼の内省に注目しながら、要点を辿ってみましょう。
kさんは「私自身がなぜ、このようにオールマイティな「正義」から発言してしまっているのか、その理由を考えてみると、次のようなことに思い当たります」とまえおきをして、ひとつひとつについて、自問自答しています。
《①「教育の謎」を、学者のように問おうとした》ことについて
《私は最初、「教育の謎」を、問おうとしていました。「教育の謎」とは、例えば、「生徒に合わせているだけでは教育にならない。しかし、生徒に受け取られなければ教育は成立しない」というような、教育の難問や逆説を問う、ことです。》
と述懐します。つまり「問い」自体が「教育一般を問う」ことだから、《抽象的になり難解なものになっていった》と考えています。そうでしょうか。
学校の教師にとっての「教育の謎」というのは、教師自身は「こう振る舞って当然」と考えていることを生徒が受け入れないのは、なぜか。生徒が教師の言葉を素直に受け容れないのはどうしてかと問うことに、はじまります。つまりモンダイは常に具体的に、その現場で発生しています。現場の教師は、その具体的なモンダイの一つひとつに具体的に「応え」ています。それが正解かどうかは、その「応え」が現場のモンダイを解消することに役立ったかどうかによります。「教育の謎」が教師の頭に浮かぶのは、そういうやりとりが終わって、たいていは失敗して落胆しながら、振り返ってみたときです。
そのとき、生徒はなぜ(教師の「応え」を)受け入れなかったのか、と問うこともあるでしょう。そのとき、学校現場の抱えている、当の生徒を包む「全環境」がどう作用しているかにも目が及びます。「全環境」というのは、当の生徒の所属するホームルームや授業の教室や友人関係やその生徒たちの生育歴をふくめた「環境」がかかわりますし、教師たちの振る舞い方の発するオーラや連携や仕事の仕方が醸し出す薫陶の効果も、かかわってきます。たいていそれらのことは、一人の(いまモンダイを考えている)教師の手にあまりことですから、たいてい「謎」のまゝになります。
あるいは逆に、自分はどうしてあのような「応え」をしたのかと問うことも必要です。教師の教育技術とか人柄とか知的力量と言いますが、その大部分は経験的に蓄えられてきたものです。現場の「応え」というのは教師の直観的な判断で取り仕切ってきたと思っています。ひとつひとつを意識的に磨いてきたこと以外は、なぜそうしたのかを本人もわからないことが多いし、また分かったつもりになって言葉にすると、嘘っぽくなることが多いと、私自身は感じていました。ひと口に言うと、文化の蓄積です。
いま私が「教育の謎」とかを口にすることができるのは、すっかり現場を離れて17年も経っているからにほかなりません。学校にも教育にも教師にも、ほとんど無責任に対することができています。ただ長い間、現場で過ごしてきたという体験が、kさんの思考回路に感じる違和感を考察しているにすぎません。たぶん、一般化するというのは、こうした無責任な立ち位置にあってはじめて、手の届く思考の結果なのだろうと思います。
現場の教師をしていた経験からいうと、「教育の謎」の一般的な回答は、現場の教師にはわかりません。現場教師の振る舞いを「第一次資料」として読み解いて「学者」が一般化することはあるでしょう。だが、それが跳ね返って現場の役に立つということは、あまり感じたことがありません。ただ一つ言えるのは、現場を離れた教師は、現場の枠組みがもたらしている社会的制約、法的制約を軽々と飛び越えて、本源的にものを考え、思案を口にすることができることです。その跳躍の、大胆さや本源へ届く視線が、ときに学者たちの思索から読み取れると、面白いなあと思っています。
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