2019年12月25日水曜日
今冬初の雪山――蕨山
昨日(12/24)は晴れ。下山口でkwrさんと落ち合い、私の車で登山口に向かう。飯能市の名郷。奥武蔵の蕨山に登る。じつは台風19号の襲来した2日後に様子を見に行ったが、徒渉する沢の水が多く、流木などで登り口がふさがれていて、その日登山を断念したことがあった。その私のリベンジに、体調の回復したkwrさんとkwmさんがつきあってくれた。
8:10歩き始める。自分の車でアプローチすると登山開始が早くなる。まだ冬至から2日しか経っていないから、早立ち早着きにはもってこいだ。気温は2℃。鼻先が冷え冷えとする。手袋をしていないと手先が冷えて痛くなる。沢沿いに杉木立の並ぶ林道を詰める。20分ほどの行き詰まりで沢を渡る。流木は片づけられ、沢の水も少ない。陽の当たらない暗い急登だが、kwrさんの歩度は順調だ。傍らの沢はたくさんの流木でふさがれている。スギ林の手入れをするときに、間伐はするが、伐採した木を運び出すのに手間賃がかかるから、伐ったまま放置する。それが台風の大雨で流れ下り、沢に集まる。登っている途中にも、そのような流木の集まっているところがあった。
30分ほど登って、やっと上の方に陽が差している稜線が見える。kwrさんのペースは、JRに勤めていたのかというほど、コースタイム通り。50分ほどで稜線に出る。振り返ると木々の間から向こうの山の稜線がちらりほらり。陽を浴びて輝くように明るい。
「あれ、雪かな」
とkwmさん。前日の朝まで降り続いた平地の雨は秩父では雪であったと報道もあった。歩きながら武川岳と思って話していたが、どうも後で蕨山の山頂にあった方位図と照らし合わせると武甲山のようであった。ロープを張った岩場も現れる。近頃kwrさんは、そのロープをつかまない。要領よく体を持ち上げる。岩のそちこちにも折れた小枝がいっぱい溜まっている。北東側が木立の合間からくっきりと見える。伊豆が岳に連なる稜線と思うが、どれがどれだかわからない。
出発して1時間15分ほどで、雪に出逢う。北東側斜面に凍って張り付いている。踏むとパリパリと音をたて、すぐに溶け崩れる。岩にも雪が残る。kwrさんは上手にバランスをとって岩を登る。間もなく稜線上に残る雪を踏んで上るようになった。標高が1000メートルに近づいた辺りから、すっかり雪の山を歩くようになった。山頂部の積雪は15センチほどあったろうか。私たちがはじめての足跡をつけた。
「この冬初の雪山だね」
と、言葉を交わす。北側に向いた山頂の方位図表示の雪をどけて、遠方を見る。男体山が、まず目につく。それを基点に、あれが女峰山、こちらは日光白根山、その左は赤城山だねと感慨深げだ。いずれも雪をかぶって背を伸ばしている。後から中年女性の単独行者がきた。バスで来たとすると私たちより30分以上あとからスタートしたことになる。ま、山の達者だと考えると、そのペースもありだなと感心する。彼女は私たちの前を下山にかかり、たちまち姿が見えなくなった。
山頂に10分ほどいて南へ向かうが、雪はしっかりとついている。先頭のkwrさんは慎重に、しかし軽快に下ってゆく。冷たい風が心地よい。まるで春山の気配だ。右手、西側の山嶺も、雪をつけて壮観だ。棒の折山とかその向こうの高水三山など、奥武蔵と奥多摩の境目の山並みである。歩く稜線は落葉広葉樹の葉が落ちて、陽ざしが雪に照り返して、明るい。
蕨山山頂を出て25分で藤棚山920mに着く。ここもすっかり雪化粧している。上って来た北側斜面より積雪が多いように見える。南からの風に乗って雨が降り雪になったのだろうか。だが5分も歩かないうちに雪は姿を消し、落ち葉の散り敷いた秋の奥武蔵の風情になった。
1時間足らずで大ヨケの頭771mに着く。11時23分。ここでお昼にする。風もなく、西側の山並みがよく見える。南には一つ高い山が見えるだけだ。
「あれが金比羅山かな」
「金比羅山は680mくらいだよ。あれって、ここより高いんじゃない」
とkwrさん。そうか、じゃあ、あの脇を巻いて下るのかと思う。すぐ右下に林道が見える。目を向かいの山に移すと、その中腹にも、林道が走っているようにみえる。奥深い山なのに、林道らしきものが四通八達している。なんだろう。石灰石の運び出しに使う道なのか、それともここは、西川材の名産地だから、木材の切り出しに使う道が設えられているのか。そんなことを話しながら、25分ほどを過ごした。
11時51分、ふたたび出発。緩やかな下りを、落ち葉を踏んで快調に下る。「名栗湖ネイチャートレイル」と題したルート表示看板が立てられている。しばらくすると右手下に、名栗湖の湖面が陽ざしにキラキラと輝いて樹間にみえる。「金比羅神社跡→」と西へ示す表示板の柱に、ビニールテープに手書きで、それと90度違う南の方向へ「金比羅山→」と書いてある。そちらへ行ってみようと踏み出す。三角点がおかれ、その石に立てかけるように「金比羅山659.6m」と手書きのトタン板に書いてあっただけ。そこからまっすぐ稜線を歩いて下ると、先ほどの巻道と出逢い、10分ほどで金比羅神社跡の小さな石の祠と礎石が残る地点に出た。下山口の出口のところに金比羅神社の由緒書きがあった。河又地区の鎮守社だったが、火災で焼失した、と。お堂もあり賭博に使われていたようだとも。林業が盛んであった頃の話であろうか。さらに10分ほど下って石づくりの鳥居をくぐり、急傾斜の道に出くわす。
驚いた。大きく斜面がえぐれ、大木が折り重なって倒れている。道を塞いでいたのはどうやら取り払われている。これも、台風19号の置き土産というわけか。片づけ兼ねた生木の大木を超えてkwmさんが前を行く。その先の小さな沢にも、上から流れてきた流木が折り重なって、そのままになっている。かろうじてその沢を渡る丸太の橋が流されずに残っている。その上を踏んで、下山口に着いた。13時13分。歩き始めてから5時間3分。35分ほどの山頂と昼食休憩を入れると4時間半の行程をどんぴしゃりで歩いたことになる。春のような、今冬初の雪山であった。
墓石の脇に出る下山口の先には、道の駅風の野菜売り場と広い駐車場があり、そこに車を止めていた。そのさらに先には「さわらびの湯」という温泉がある。でもまず、車を登山口に回し、もう一台を回収する。kwr夫妻はさわらびの湯につかって帰るという。私もそうしたいが、湯につかると身体がほぐれて車を運転する緊張が解けてしまいそうなので、登山口のところで彼らとは別れた。いい山であった。2台が連携すると、こういう山歩きができる。少しばかりこういうプランを織り込んでみようかと思いながら帰宅。3時半になっていなかった。
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