2019年12月21日土曜日
問題浮上のいきさつ(5)転向?
kさんはなぜ「合意形成」と「信頼の構築」にこだわったのか。そのワケを《②副校長としての「着地点」や「妥協点」探し》にあったと言います。kさんは副校長になって「価値の争奪戦」をしていると思っていたようでした。何と争奪戦をしていたのか? 《彼らは常に「問題を起こすな」ということを大切にし…「丸く収める」ことや、そのための「着地点」を探すことに、力を注ぐ…》、そういう校長や副校長の姿勢と争おうとしていたようです。kさんが提示した価値とは、《問題と正対して、衝突を恐れずに価値を語り、対決する》ことでした。所謂管理職の「保身」と対決するという趣旨でしょうか。だったら自分から辞めるのではなく、解職されるようにすればいいのにと、外野の私は無責任に思います。「現場のモンダイを巡って、k副校長解職される!」というのは、メディアにも格好のネタになります。舞台を代えての「価値争奪戦」となると、一般論が幅を利かせるでしょう。
だがkさんは、《私自身が、副校長として(従来の管理職と同じに)そのように振る舞ってきた経緯があります。そのように振る舞えなければ、副校長としての業績評価が「最高評価」になることはありません。そういう意味で、私は常に、教育行政が望む「着地点」や「妥協点」を先取りして、理想的なかたちで、実現していたと思います。》と、まるでミイラ取りがミイラになったような展開です。それを《いつのまにか、私が論じる「合意形成」と「信頼構築」にスライドしていた》と総括し、そこから離脱して平の教師に戻ることを「転向」と名づけています。
つまり「副校長は、とても色濃く(私のなかに)内在化されている」が、それを抱えて、これから一教師として振る舞う自身は、「ただ以前の一教師にもどった」わけではなく、「二重化された存在なの」だと意識しているというのです。それが何を言いたいのか、じつは私にはよくわかりません。彼が身をおく現場が、一教師のみるものと管理職としてみるものとが次元が違うことを前提にしているように思うのですが、その違いとして踏み込んで記しているわけではないので、私には論点が移動しているようにしかみえません。kさん自身が対決しようとした「保身」というのも、必ずしも管理職の自己保身ではなく、学校とか教育行政の方針を護ろうとしたことをふくめての保身なのでしょうが、「2019の構想」の「本文」を読んでいないのですから、対決軸のどこにどう絡もうとしていたのかわからないのは当然です。やはり私も、きちんと(本文に)目を通さなければならないのかもしれません。しかしその非礼を承知で付け加えれば、副校長として「何と対決しようとした」のかが不分明なままで、内在化していたこと(従来管理職の保身的体質?)と「一教師」の資質とを二重化した存在というのは、ただの言葉遊びに過ぎないのではないか。kさんは中野重治の「広重」という作品を媒介項にして二重化を綴っていますから、ただの言葉遊びをしているつもりではないのでしょう。でもそれを私は、「論点の移動」と受け止めているように感じています。
さて、長々と「問題浮上のいきさつ」を記してきました。これからがkさんの「最初の見直し」の本論です。私自身によく見えなかったことが、読み進むにつれて分かってくるかもしれません。現場を離れて17年にもなると、学校が変わったというのも、私の経験則をとっくに上回っているかもしれません。耳を傾けるつもりで、昔日の私自身の知る処と振る舞いとを重ねて考えてみたいと思います。
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