2019年12月15日日曜日
「規定」の齟齬を埋めるのは労をいとわぬこと
今日(12/15)は団地の修繕専門委員会。昨年の役割の関係で、一年間はこのお役目を引き継がなければならない。今年は、給水管給湯管更新工事の具体化に向けて、設計監理を引き受けてもらうコンサルタント業者を決める。その業者選定の作業が先月でひと段落し、今月初めの管理組合理事会で承認された。それに従って、今月上旬に候補業者と最終的な文面や金額の調整を済ませ、契約にこぎつけた。そういうこともあって、今日の修繕専門委員会はルーティン事項を片付けて、軽く終わると私はみていた。ところが、午前中の協議時間を超えて長引いてしまった。
団地という集合住宅は、その所有権に関して微妙なところをもっている。住戸の個人所有者(管理組合の組合員)が所有権処分権を持つ「専有部分」、団地の構成組合員全員が共有している「共用部分」、それに共用部分でありながら専用部分が絡み合っている「専用使用権部分」である。今日の案件は、ベランダという「専用使用権部分」においてある給湯器という「専有部分」の設置にかかわる不備。簡略にいうと、給湯器の設置方法がベランダの低い壁を背にしているために、ある方向からの強い風の吹き込みと大雨の両方が重なると給湯器の背中側の下半分から雨水が浸入し、給湯器の置台に開けられた穴を通過する給湯器の給水・給湯の配管と置台のコンクリートの隙間から水が浸入して壁を伝わり、下階の居室に水が漏れるという案件である。
3年も前に話題になり、昨年やっと「浸透実験」を行って原因を突き止めた。給湯器の背面板が下半分にはないという新型機が、 雨の吹き込みを防げない構造がひとつの原因ということはわかった。だが置台の穴を通過する給水・給湯管の隙間の防水手当てがきちんと行われていないことが最大の原因と「調査結果」は教えてくれた。だが、置台に入る処の管の防水工事を完璧にすることは、技術的に難しいとわかる。ということは、背面板の下半分を覆う処置をするしか、方法がない。
昨年分の処置はした。ベランダという共用部分の「事故」であるから、置台の防水処置と背面カバーの取り付けと下階の居室の水漏れによる補修として壁紙の張替えなどを、棟別修繕積立金から支出して3年越しの課題に始末をつけた。総会も通過した。ところが、今年また梅雨時の大雨があって、二例目の「事故」が起こった。これも「調査」をし、昨年同様に始末をした。秋には「経験したことがない」台風が来るというので、理事長たちが関係する全戸に呼びかけ掛け合って、何とか応急の背面板への手当てをしてもらって、何とか「事故」無くしのいだ。同じような構造の給湯器を設置している居室は、ほかに50軒ほどある。その都度、「事故」対応をするしかないが、そうしていたのでは、「事故」一件について50万円余の支出をすることになって、とても負担が大きい。背面板の下半分に簡易的でもいいからカバーを掛けようという話になった。
さてここで、三種に分かれる「所有権」と補修と補修費用負担の出処とが、モンダイになる。給湯器の所有権は「居室組合員の専有権」である。ならば「背面カバー」の補修費用負担は個人になる。だから、補修をするかどうかは、個々の所有者の判断に任せるほかない。だが、異例の大雨や経験したことのない台風がやってくるごとに「事故」が起こって、その都度対応して支出していたら、ずいぶんな高額の負担が棟別積立金に発生する。そこで、簡易な背面カバー用の防炎の樹脂ビニールと接着剤を予め「棟別修繕積立金」から支出して用意し、所有者に取り付けてもらおうと、提案があり、その可否についての検討が、今日行われた。
(1)関係全戸に「背面カバーをつける」ことを義務付けてはどうか。費用は、当然、居室所有者と分になる。
(2)「背面カバー」を付けないことによって生じる将来の損害が大きいので、「背面カバー」と接着剤を管理組合で用意し、関係全戸に取り付けていただく。爾後、それをしないで「事故」が生じたときには、下階への漏水については関係戸の個人責任とする。
と、二つに分かれる。だが、(1)の場合も(2)の場合も、「専有権部分」の扱いに関して訴訟になれば、管理組合側が敗訴するだろうというので、思案投げ首になった。そこで、第3案が提示された。
(3)管理組合で背面カバーと接着剤の用意は管理組合で行う。関係全戸には、給湯器の背面カバーの取り付けを行っていただきたいと呼びかける。気象が予想外の暴れ方をしていること、将来に生じる棟別修繕積立金の負担を減じることにご協力いただきたい、と訴える。もし設置に手伝いが必要であれば、(修繕専門委員会が)手を貸すようにして、関係全戸に手当を行ってはどうか。
(3)の提案には、今年度の理事会が大型台風接近を前にして、関係戸を訪ねて回って、防水措置を呼び掛けてゴミ袋やビニールシートを張ってもらったりした「働き」があった。そうだよ、そういう呼びかけや働きかけがあってこそ、専有権とか専用使用権とか共用部だとかという端境の関係部分のからまる悶着を乗り越えられる。法や管理組合規約の文言だけでは、埋めがたい齟齬が生じる。それは解釈がさまざまということもあるが、「決めたのだから守れよ」というふうな高飛車な物言いが生む反撥もあれば、事態を理解してもらえないことからくる拒絶もあろう。それらはとどのつまり、モンダイの取り組みを図る理事会や修繕専門委員会という位置に立つ人たちの労をいとわぬ「献身」にあるのではなかろうか。その労をいとわぬ献身こそ、コミュニティの醸し出す「かんけい」性ではなかろうか。やりとりを聞いていて、そんなことを思った。
そうそうもう一つ、長引いたワケ。取り仕切りをする議長役が、「皆さん、ご意見をお聞かせ願いたい」と相談を持ち掛けておいて、いろいろとやり取りしていることに耳を貸さず、ご自分のひっかっかったことに拘泥して、やり取りを全部「ちゃぶ台返し」しようとしたこと。何のために30分も議論したんだよと、私は腹が立って、大声を出してしまった。でも考えてみると、こうした人も抱えて、ご近所はやってるんだよね。労をいとわぬというのは、大声を出すことも我慢しなければならないのかもしれないと、ちょっとばかり反省している。
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