2019年12月28日土曜日
「学校の変容」はどうモンダイになるのか(4)経験則の頽落
kさんの挙げた7年間のあいだの「学校の変容」とは、以下の5点。今回は③を考えてみましょう。
① 専門家の専門性や権威が疑われる
② 当事者主権の考え方が、ますます強まる
③ ベテランが否定され、ベテランは若手に学べと指導される
④ 生徒は、教師をコントロールしようとし、教師は生徒に合わせざるを得ない
⑤ 管理職の力や教育行政の力が強まっている時代
《ベテラン教師のやり方は「時代に合わず古い」と批判の対象になり、「若手の新しいやり方を学べ」と、管理職や教育行政から強いられます》とkさん。その事例として英語科教師に対する「最新の英語の教え方」を事例として挙げています。年配の教師が、研修を受けた若手や中堅教師の教えを受けている。それをkさんは「若手や中堅の教師がベテラン教師に教えるという悲喜劇」と記しています。
私は英語の教育法については門外漢なので云々する立場にありませんが、私などが教わった英語は「読み書きの仕方」でした。読むことと書くことがメイン。ちょうど中国語を中国語としてではなく漢文として学ぶように、学んだんだなあと、後になって思いました。つまり、西欧の知識人がラテン語を学ぶように、英語を学んでいたのでした。だから英文学も読むことはできなくはないのですが、聞くとなると一歩引いてしまいます。しかも日本においては翻訳文化が盛んになって、例えば大学の理化学・工業系の教育ですら、ほとんど日本語で行われるほど、日本語のテキストで事足りていました。それ自体で一つの業界をなすほど大衆文化に食い込んだのですから、それなりに誇っていいことだと思っていました。
ところが21世紀になるころに、「中国やタイの大学では英語で授業が行われているのに、日本の大学では相変わらず日本語ばかり。日本は遅れている」と批判が行われはじめました。日本が古い時代の文化センスで高等教育を行っているというのです。固定電話の行き渡ってなかった国が携帯電話時代になって先行するようなこと、後進的な社会が新しい時代の潮流にうまく乗って、先進社会を追い越したのです。日本の産業社会が(そこそこの人口を抱えていたために)ガラパゴス化していると謂われたのも、同じことでした。イノベーションの時代の世界的広まりが、先進/後進という尺度をかき混ぜていたのです。
21世紀になるころには世界的なインターネットが整い、英語があたかも世界の共通言語のように広まりました。企業活動もグローバル化し、日本の企業も海外へ進出せざるを得なくなるとともに、海外勤務の日本人も格段に増えていきました。海外の専門的技術者が日本の企業で働くことも珍しくなくなっています。日本の企業のなかにも、会社内で英語を標準語とするところが誕生しています。読み書きだけでなく、聴き話す英語が必要と謂われはじめて、文部行政がそちらに舵を切ったのも時代の要請に応えようとしていると思いました。じっさい、TVでも日常の場面でも、英語は頻繁に流通するようになっています。「日本人は英語が下手」という「定説」がTVでモンダイになったとき私などは、「だって日本語で日常に不都合がないんだから、当たり前じゃないか」と居直っていたものでした。
となると、英語教育のコンセプトが違ってくるのですから、教師経験が長いからと言って英語についてはベテランとは言えなくなっています。ほかの教科でも似たようなことは起こっていると、私は思います。教科の枠組み自体が枷になり、相互越境的にかかわりあっていかないと、知的な探究はすぐに頓挫するような知識も、結構多くなりました。古い教養ベースでは、即対応が難しいところが出来しています。もっとも、それが良い傾向かどうかは、一概に言えません。古い教養ベースというのは、それなりに哲学的な探究の胚芽を持っていて、領域横断的に知的関心を惹くところがあるからです。
kさんは「悲喜劇」というとき、何をモンダイにしようとしていたのでしょうか。私は、学校現場における教師の経験則が軽んじられるようになったと、受け止めました。教師の経験則というのは、社会の規範を背景にして知的・道徳的感性を育み、人倫の然らしむるところを身に付け、世の中を渡っていく自立と自律の生活と心の習慣の土台をつくることでした。私の父親は息子が大学へ行くときに「勉強もいいが、いろんな人がいることを見て来なさい」といったものです。当時は「ふん」と聞き流していました。いまこの歳になってみると、なかなか含蓄のある言葉だと、父親の面影とともに感心して思い出しています。
ところが、学校現場では1970年代に入って、政策的には1960年代前半に中央教育審議会から「人的資源育成」が提起されたことにはじまるのでしょうが、学校教育が後に「能力主義」と呼ばれる方向へ舵を切った政策が、現場に姿をあらわしはじめました。時代は高度経済成長、しかもその後の十年ほどで、「一億総中流」と呼ばれるような高度消費社会に日本は突入していきました。子育てをする親たちも「学力一本槍」とでもいう風潮に煽られ煽り、学校や教師への要求を学力に絞って強めるようになりました。大正教養主義は影をひそめ、産業能力主義が姿を前面に現してきたと言えましょうか。
そのころからですね。着実に人倫をベースにした教育の影が薄くなっていきました。いうまでもなくそれまでも、知的力量の向上は、学校教育の重要な柱の一つでした。だがその背景には、世の中の役に立つ人生という(古い時代の)共通の規範が優勢でしたから、自分の利得を図るということは二の次のこと、あるいは卑しいこととみなすセンスが、まだ残っていました。しかし、学力向上が全面に押し出され、学力による学校の格差付けがあからさまに行われるようになってくると、自分の利得を図ることが恥ずかしげもなく口にされ、それは個々人の生き方の選択のモンダイとみなされるようになりました。その進行にともなって現場教師の、規範や人倫に関する経験則は軽視され、自立・自律という生活と心の習慣の土台を育成することは、自己実現とか自己責任(=個人の選択)という言葉にとってかわられ、やがて無視されるようになっていきます。学校における生徒の振る舞いは生徒の選択のモンダイであって、学校や教室の規範秩序のモンダイとは考えられなくなっていったように記憶しています。つまり、個人の選択の自由の謳歌は個人責任とともに個人主義を推進し、社会的な関係の形成を、どこかに預け、自力で保つこととは考えられなくなりました。そういう状況が一般化してきたと言えましょう。社会的な秩序の形成保持を、どこに預けたか。法的規制にです。管理責任者は、場の管理責任を負うと同時に、それに必要な「規律・規則」をあらかじめ周知徹底することが求められたのです。
ここでほぼ完璧に、個々人の振る舞いは、個々人のモンダイとして取り上げられるようになり、その判断基準は法的に規定された違法行為かどうかがモンダイとされ、それだけでは片づかないことに対処するために、ポリティカル・コレクトネスとか、○○ハラスメントという決めつけが横行して、ものごとに白黒つける規律規範のセンスが、一般化してしまった。そう私は思っています。
経験則の頽落と私が名付けるのは、教師の経験則が退廃したことを意味しています。教育の役割は学力の向上であり、その余のことは学校という場を維持するための付随的なことと考えられるようになっていきました。それを推進したのは、高度消費社会化の進行による一億総中流化がもたらした能力主義という機能主義が社会的に蔓延した結果です。親も企業も教育行政当局も、経済的な高揚と利得しか目に入っていないかのように、子育てを考えています。その集団の秩序は、「規律・規則」として文言化され、その集団に所属する人々は、当然それを遵守することを誓約して算入することになります。学校に参入する生徒も一人前の人格とみなされて登場するわけです。秩序維持のための尽力は、自ずから保障されて然るべきこととして視野の外におかれています。その集団に参加する個々人が秩序を維持するにふさわしい資質を身に付けて登場するべきだとみなされているのです。子どものことは、家庭や親が責任を持つべきことになります。
でも、一人前に育っていない生徒が蝟集する学校現場は、「規律・規則」があっても何の役にも立ちません。子どもたちは家庭や親の庇護下にわが思うままに振る舞ってきていますから、そもそも規律や規則の制約が気に触ります。荒れる学校現場の秩序は、誰が取り仕切るの? と現場の教師は気になります。ふつうなら教師の責任となりますが、それに関する教育行政当局は、トラブルの場を取り繕う弥縫的な対策しか提示していません。自分たちの(本来の)職務ではないと考える平教師は、アメリカのように生徒指導は管理職が担当しろ、となります。現場教師も、生徒指導とか生活指導が自分たちの職務に属さないとなると、秩序を混乱させるモンダイ児ははじき出すだけの存在にみえるわけです。こうして子どもたちは、何がモンダイかもわからないまま、自分をつかめない不安にさいなまれて八つ当たりするか、とち狂うしかないわけです。
これはずいぶん大きな社会の頽落です。ベテランが否定される悲喜劇などという暢気なものではありません。むしろ、古い時代の人倫が経済一本槍の世の中で廃れ、それに代わる社会の秩序維持装置が、動物対応的な環境管理型に変わっていくことの方が、皮肉にも人間主義の最高の到達地点に発生しています。その悲喜劇を、慨嘆してみているしかないのでしょうかね。
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