2019年12月8日日曜日
ヒトの起点に起こっていたこと
久々に刺激的な小説を読んだ。佐藤究『ANK:a mirroring ape』(講談社文庫、2019年)。ジャンルでいえば、SF小説。見据えている地平は、今の私たち人類の来し方を振り返ったときの、遠近法的消失点と言えるような800万年ほど前。猿と類人猿がとっくに枝分かれし、類人猿が類猿人と枝分かれしたあたりの光景。その地平への関心を底流においた、近未来の出来事をミステリ風に仕上げている。
簡略にいうと進化ツリーの枝分かれにおいて、ヒト、チンパンジー、ボノボ、ゴリラが枝分かれしはじめたとみられる950万年前から1000万年前に思いをはせる。1200万年程前に枝分かれしてしまったオランウータンもしっかりと位置づけている。枝分かれの分岐点に何があったのか、どうその分岐がはじまったのかと思いめぐらす関心が、この作品を読ませる原動力である。ことばが話せる/話せないとはどういうことか。これへの回答は「仮説」になるほかない。これらは、進化動物学ばかりでなく、DNA解析やその組成と展開、古生物学、動物考古学、身体生理学、音声学、脳科学、文化人類学や社会学の知見など、急速に進展する諸科学への理解を前提にしないと、荒唐無稽な夢物語になる。SF小説として成立するためには、少なくとも科学探究の真偽の端境をしっかりと押さえいて、読む者が、現実科学の世界でもなるほど思うような「仮説」を提示するには、このようなかたちをとるしかないかもしれない。そう思う程度に先端知見を踏まえながら、ストーリーは展開していく。
この作家の視野に納める関心領域が、ちょうど私のそれと重なる。AIの最先端の研究開発者が、ことばの発生がどう始まったかに関心を持つのは、「人間とは何か」に突き当たっているからだろう。類人猿の研究者が進化ツリーの分岐点に言葉の問題をさぐるのは、研究の出立点に「人間」とその社会が置かれているからで、それが読む私の関心を刺激する。そういう意味では、SF作家というのは、専門科学を大衆的な言葉にのせて解説するゼネラル・サイエンティストでなくてはならないのかもしれない。
35年も若い作家の描くこの物語の末尾が、本題の関心テーマを棚上げ(エポケー)するようになっているのは、「あとにつづく」と記しているようで、期待させる。
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