2019年12月5日木曜日

地元の尽力、実るはまだ先か――都留アルプス


 やっと二日ばかり関東の乾季を思わせる気象がつづいている。昨日(12/4)、今月の(山の会)「日和見山歩・都留アルプス」を歩いた。チーフリーダーはOさん。古稀を超えた女性だが、なかなかの身体能力を持つ方。またここにも「アルプス」があったのかと思いながら、私も参加した。


 「アルプス」というのはあちらこちらにある。沼津アルプス、宇都宮アルプス、皆野アルプス、三浦アルプス、鎌倉アルプスと山並みが連なっていれば皆「アルプス」と名づけて「名所」にしてしまおうというハイキング客の呼び込み作戦の定番。でも実際にハイキング客が落とす金は、交通機関ばかり。弁当はもってくる。せいぜい下山後の缶ビールくらいだが、いかんせん、山のふもとの無人駅は町というより鄙びたところにあるから、そのカネすらも落とさない。温泉でもあれば、そこをつかうかもしれないが。そういうわけで「都留アルプス」も、富士急行電鉄が力を入れているのかもしれない。

 都留市はずいぶんと力を入れて「コース」の宣伝をしている。「都留アルプスハイキングMAP」 は、都留市駅から歩き始めるいくつものコースを設定して、「ファミリーコース(最長約3時間)」「一般コース(最長約4時間)」「がっつりコース(最長約5時間半)」とわけ、とりわけファミリーコースは、途中からの下山路をいくつも設え、1時間から3時間までのルートを選べる。これをみると単にハイキング客の呼び込みというよりも、地元の人たちの健康のための里山づくりかとも思える。

 都留市駅を歩き始めたのは8時50分頃。三日前に下見に来たというCLのOさんが住宅街の小道を縫うように歩く。最初の角に「都留アルプス→」と表示板がある。霜が降りて、草付きが白くなっている。でも吐く息が白くなるほどではないから、気温が低いってことではない。発電所へ落下する太い流水管の脇の登山道に入る。ジグザグに切った簡易舗装の急斜面を上がる。畑道だったのだろうか、これはたいへんだね毎日では、と前から話す声が聞こえる。傍らの木々の間に、荷運び用の簡易ケーブルの路線が設えてある。「←都留アルプス・富士山展望台→」の分岐に来る。観てきましょうと「富士山展望台」の方へ向かう。南側の木を伐り払ってくれたのか、雪をかぶった富士山が目の前に姿をあらわす。富士山の下半分を隠す手前の山が、今日歩く都留アルプスなのかもしれない。その手前に、都留市の街並みがびっしりと広がる。

 歩き始めて40分ほどで、稜線に上がる。逆光の朝日に紅葉した広葉樹の葉がひときわ明るく輝く。負けじと常緑樹の緑の葉が照り映えるのも、道筋を飾る。電波塔の立つ蟻山658mには「烽火台跡」と記された由緒書きが置かれている。なんでも江戸期に編纂された「甲斐国史」に「小山田氏が設置した」と書かれているそうだが、小山田氏がいつのころにと書いていないところを見ると、地元の人たちにはすぐにわかることなのだろう。安土桃山か戦国か。富士山の頭がちょろりと見える。

 稜線の南東側から日が差し込み、葉の落ちた木立の間にみえる東の下方に、大きな集落があることがわかる。都留バイパスが通る、都留アルプスの尾根の東側に位置する住吉市営球場とその周辺の住宅群に違いない。都留市は、北を大月市、東を上野原市、西を笛吹市、南を道志村や山中湖村、忍野村、富士吉田市に接する山間にある。都留市は「二十一秀峰」として御正体山1681m、本社ヶ丸1630mなど21の高峰(ひとつ、市の中央部に位置する城山だけが571mと低いが)をあげ、そのうち9峰が山梨百名山であることも記し忘れていない。

 白木山625m、長安寺山654mと山名の記されたポイントを、上り下りしながら通過する。枯葉が敷き詰められ、ところどころに真っ赤に色を変えたイロハモミジが陽ざしを受けて美しい。「これが私のレッドカーペットです」と田中陽希が言っていた心地だなと思った。その先で「パノラマ展望台」がある。やはり富士山が見えるところだが、手前の倉見山1256mが富士山の姿の大半を隠している。「たぶんこれ以降は、富士山が見られないよ」と言葉が交わされる。

 「都留アルプス」の成立由来を記した看板が建てられていた。それによると、平成29年に地元の山岳愛好家の会が名づけ、都留市と協力して、整備してきたという。3年前だ。そこから大きく下る。降りきったところが鍛冶屋坂。ここが、「アルプス」に阻まれた都留市の二つの大きな町が行き来する峠道だったようだ。すぐ脇に大きな眼鏡橋のような橋が架かっている。その上を水道が通っているのだ。たぶんこの水道は、登り口にあった発電所へ送水するためにしつらえられたもののようだ。

 天神山580mを通過して背丈の高いササの道に入る。一度元坂の峠に降り立ちふたたび上ると、東屋がある。その先で桜の植樹をした見晴らしの良い地点に着く。「千本桜植栽地」と呼び、いずれ吉野山のようなサクラの名所にしたい考えのようだ。なるほど、街が見下ろせる。ということは、街からこの千本桜が見えるようになるだろうが、いまはまだ2年ものくらいの苗木。支柱をたて、シカに食われないようにネットで巻いている。地元の小学校が卒業記念にカエデの植樹をしていると記した木柱もあった。ファミリーコースの最長地点はここから楽山公園に下り都留文科大学前駅へ向かう。一般コースは、さらに足を延ばし、稜線を辿る。

 今日の最高標点713mポイントに、11時17分。Oさんに言わせるとお昼をとるのに都合のよい明るい地点は、ここかあと1時間歩いた先の楽山球場か。出来たら球場まで行きたい、と。楽山野球場から下山地の駅までのコースタイムが読めるから、ということらしい。いいわよ、お腹空いていないからとほかの皆さん。では急ぎますと、Oさんは足を速めた。mrさんが黙ってついていく。尾崎山への分岐を過ぎて、南東に高い稜線がつづく日陰の山体を辿るルートはスギ林に入る。暗いから「見るものがない」というのか、Oさんとmrさんは先を急ぐ。後を着いていくmsさんもstさんもあいだが開くが急がない。「まったく年寄り向きの歩き方じゃないね」と私がぼやく。楽山球場に着いたのは11時50分。30分で来ている。ここから十日市場駅か都留文科大学前駅へ向かうのが一般コース。「がっつりコース」の私たちは、ここからもう一度尾崎山の北側の取り付き、その末端を経めぐって東桂駅へ向かうことになる。

 ここでお昼にする。食べているとアラカン女性の二人連れがやってきて、「向こうに東屋があるわよ」と声をかける。私たちより先にここに来て、やはりお昼をとっていたらしい。山道からビーグル犬が二匹降りてきて、止まっていた軽トラにすり寄ってから、また山道へと戻っていった。「猟犬だね」「イノシシを獲っているのかな」と声を交わす。ゆっくり30分を過ごした後歩き始めて、鉄砲をもった猟師に出会った。犬が先に戻っていたというと、「ハハハ、飽きちゃってね、あいつら」と笑って応じていた。イノシシが出なかったそうだ。足立区でイノシシが出たという話が思い浮かぶ。

 谷間に踏み込む。それほど人が入らないのか、少し踏み跡がおぼろげになり、暗さもあって、いかにも奥深い森を歩いているって感じになる。だが「都留アルプス→」という表示板は適度につけられていて、迷うことはない。やがて尾崎山の山頂をめぐってくる稜線へ合流し、古城山583mを通ると、すぐに住吉神社を経て、舗装路に出る。

 東桂駅に着いたのは13時38分。歩き始めて約4時間50分。お昼タイムを除くと、4時間20分の行動時間だ。コースタイムより1時間10分も早い。年寄りの山歩きにしてはパワフルだったというか、都留市の設定したコースタイムが、緩やかだったというべきか。それにしても、里山にしては人気が少なかったなあ、地元の小学校がハイキングなどにつかえばいいと、嘆息が出る。いやいや、これからですよ。結構丁寧にルートづくりをしていたではないですか。まだスタートして3年、実るのはもう少し先、気長にお待ちくださいってことですよ。

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