2019年12月31日火曜日

慥かに生きる感触


 寺地はるな『わたしの良い子』(中央公論新社、2019年)は、面白かった。

 事件が起こるわけではない。異様な人たちが登場するわけでもない。ごく普通の人たちの身につけている何気ない言葉が、一つひとつ突き刺さる。突き刺さったのを跳ね返すわけでもない。ただ受け流すのでもない。一つひとつの言葉をわが身の裡において吟味しながら、わが心もちの落ち着くように腑に落としていくと、いつしか自律した身の置き場を得ている。その姿は、ごく普通の人から見ると、ヘンなヒトにみえる。


 シングルの主人公が子どもを育てている。自分の子ではない。といって、しぶしぶ引き受けているわけでもない。妹の子だから子どもには「おばちゃん」と呼ばせている。すると世間は、「たいへんでしょう」と主人公に声をかけ、子どもには「さびしいでしょう、ママと離れて」と慰める。だが違うんじゃないか。いや、違うよと内心の声がする。

 保育園に預けられた子どもは、ほかの子どもたちと馴染まない。保育士がいろいろと気遣う。いいじゃない、一人ぽっちだってと心裡が反発する。やがて小学校へ通うようになる。動作がのろい。ひらがなを憶えるのに時間がかかり、ぼんやりしていることが多い。教室のほかの子たちから遅れる。だがその子どもの在り様のどこかに、おばちゃんの気持ちは救われている。余所の子どもたちと親とのやりとりが棘のように目につく。ほかの子の父親の振る舞いが、母親を孤立させてヒステリックにさせていると思う。ふと気づくと自分も、子どもに乱暴な振る舞いをしていると、やはり視線はわが身に向く。

 それが、やはり単身の同僚や妹との関係に重なり、主人公の立ち居振る舞いの自律が際立つ。ヒトって、このように生きているんだと慥かさが読む者の心に残る。良いとか悪いとかという価値判断を離れて、ヒトが生きる心もちって、こういうことなんだと軽くかみしめる読後感が心地よい。

 人と人との距離というのは坦々としていていい。子どもの心裡もわからない。わからないとわかることが、自ずから距離を調えさせる。うれしいとか楽しいとか心弾むとか、何につけ喜ばしいことが良きことのように持ち上げられる。おしゃべりもそうだが、メディアに乗るコマーシャルもドラマもスポーツも、そういう価値観をベースにつくりあげられている。商業主義だから仕方がないが、とすると、ほんとうの人生ってのは、そこにはないと確信させるに足る慥かさが感じられて、面白かった。

 この作者、寺地はるなは1977年生まれ。今年42歳になる方。バブル時代に成人し、就職氷河期に一人前になった世代だろう。だが、豊かな社会に育ち、自由とともに自己実現とか自己責任をいつも迫られる不安に苛まれるのではなく、こうした人生の慥かさを手に入れて自律しているのを感じさせるのは、ちょっとした希望を見ているようであった。

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