2020年7月14日火曜日

雲の中を歩く


 ほぼ毎日雨がつづく今週、月曜日だけが日中曇りという予報に、山へ足を運んだ。車で行ける所なら声をかけてと話のあったkwrさん夫妻にメールを二日前に送ると、すぐに行くと返信が来た。ところが日曜日に「予報」をみると、午後3時ころから雨となっている。
 選んだ行程は7時間ほどの、しかし高低差のそれほど大きくない稜線ハイキング。8時半ころ出発しても3時を過ぎてしまう。そこで、下山口に1台車を置き、登山のスタート地点を(駐車場のある)正丸駅ではなく正丸峠にまでもっていくと、2時間ほどの短縮になる。お昼時間をとっても、5時間半ほどの行程なら、雨が落ちる前に下山できるのではないか。

 
 下山地のgoogle-mapの衛星写真を見ると、cafeがある。その脇に何台か車を置ける空地も見える。ここに置かせてもらうことにして、そこを集合地点とする。8時に着いたが、cafeは休業中のような風情。たまたま居合わせたご近所のおばさんに聞くと、やってるよ、その向こうの大きな家の方に聞いてみな、とのこと。屋敷林をぐるりと回りこんで玄関から挨拶をする。60年配の女将が出てきて、
「いいよ、置いても。午後は病院へ行くから、挨拶なんかいらない。気を付けていっておいで」
 と気さくな応対。礼を言い、車を置いてスタート地点へ向かう。
 正丸駅を過ぎて飯能秩父線の正丸トンネルの手前で国道を逸れ、正丸峠への林間道をたどる。緑の森におおわれてくねくねと曲がっているが、舗装はしっかりしている。ところどころ広くなっている処には、中央分離帯のマーカーが埋め込んである。kwrさんは運転しながら、「正丸トンネルができる前は、ここが主たる往還どうだったんだから、ダンプやトラックが行き来したんだよな」と感慨深げである。トンネルが抜ける前にも、ここに来たことはあるの? と訊ねる。若いころにねと返事が返ってくる。正丸トンネルは1969年竣工だから、kwrさんが27歳の時。仕事についていて、遠足などで子どもたちを連れてきたのかもしれない。
 
 正丸峠には奥村茶屋という茶店がある。建物の壁に大きく「伊豆ヶ岳」と書き付けている。ここを基点として伊豆ヶ岳への登山も行われているようだ。google-mapではその手前のカーブのところにも車を止めることができる空き地があったが、行ってみるとガードレールで仕切りをつけて入り込めないようにしている。このガードレールは、衛星写真ではみてとれなかったなあ。奥村茶屋の前、登山道入り口わきの空き地に車を置く。周りはすっかり霧に包まれている。雲の中にいる。
 
 8時半、スタート。コンクリートの階段で標高差15メートルほど上がる。近頃の大雨で流れ落ちた土砂が階段に積もり、歩きにくい。その先も、木製の階段が設えられているが、古びて崩れたり、階段の土留め木枠の間の土が流れ落ちて、回り込むようになっていて、これも歩きにくい。急斜面をゆっくり辿る。2週間ぶりの山歩き。体を慣らすような気分だ。正丸山、川越山を経て旧正丸峠に着く。ここへ正丸駅から来るルートをたどると1時間半ほど。38分で来ている。雲は取れない。ただ気温は高くなく、空気はひんやりとしていて、山歩きにはちょうどいい。足慣らしだと思えば、これくらいの夏山がいいのかもしれない。ルートはしっかりしているが、いつの台風で倒れたのか、灌木が行く手に倒れて道を塞ぐ。

 10時、虚空蔵峠に着く。どこやらから来る舗装林道が大きくカーズしていて、広くなっている。東屋もある。その屋根の下で焚火をしたのか、燃え残る丸太が禍々しい。川越ナンバーの乗用車が1台止まっている。ここに車を置いて、どこかへを歩いているのだろうか。そこから林道を辿るようだとkwrさんがいう。広い舗装林道を話しながら歩く。コロナウィルスのこと、地元の学校は平常授業になっていること、小学校の修学旅行も実施の方向で準備が進められていること。あるいは東京都知事と政府のgotoキャンペーンとが逆に向いて齟齬しているが、為政者は何を考えているのだろうと、経済一本やりの政府の態度に呆れる。でも(そういう話の)結論は、いつも一緒。まあ、年寄りはコロナウィルスにかかったら、潔く身罷りましょうということになる。
 舗装林道は垂れかかる大木の緑に覆われて、薄暗い。杉林はよく手入れされていて、大きくなった杉の木の間に、2メートルほどの落葉広葉樹が葉を広げている。樹間に陽ざしが入るってことだ。吾野の町も森林の手入れには力を入れていると、kwmさん。彼女の母親の実家が、この吾野の町。今日のルートのあとの方にある高山不蔵尊の下の方らしい。
 おしゃべりして歩いていたから、途中から山道に入るルートを見過ごしてしまった。25分ほどで刈場坂峠に着いた。舗装林道の工事をしている人たちが四人ほどいて、この林道は通れないという。でも、林道を巻く山道はあるはずというと、そうだいね、その恰好なら舗装路を歩くことはないやね、と笑う。若い人がバイクでやって来た。どこへ向かうのかわからないが、この舗装林道は飯能や越生町から稜線沿いに走って横瀬に抜けたり、小川町へ行ったりしている。バイクのツーリングで愉しむ人が多いそうだと、kwrさんが話す。そうだね。山と抜けるトンネルが出来上がってからは、車よりもそうした遊びツーリングの手ごろな場所になるのかもしれない。山道のところどころに「バイク乗り入れ禁止」と表示があった。ということは、オフロードバイクがやってきて、走り回るのかもしれない。じっさいに登山路の脇に、バイクのタイヤの痕跡が残っていて、何台もが入り回っている気配だ。
 
 工事中の林道は、しかし、山道を寸断している。私たちは「関東ふれあいの道」となづけられた山道を歩くのだが、それがずいぶんの箇所で林道と出合い、それを横切りまた山道に入るようになっている。どちらを歩いた方が短時間で行けるか、わからない。ツツジ山879.1mが、今日の標高の最高点だ。丸山というのも、二つあった。ひとつは833mと標高が記されていたが、もう一つは古い木柱が山名だけを記してぽつねんと立っていた。「マルって、朝鮮語でヤマの意味なんだ」と「日本語の中の朝鮮語」という本で読んだ記憶が湧き起る。というと、丸山ってヤマヤマだねと笑う。国土地理院地図には山名がないが、昭文社の地図やYAMAPなどの地図には山名が書き込まれている。
 舗装林道の分岐の先が「通行禁止」となっていて、「越生町」と掲出責任が表示されている。その脇に「ギャラリー&カフェ山猫軒」という小さな看板が、電話番号とともに記している。kwmさんが越生町のカフェよと言葉にする。考えてみれば、彼らの棲む鶴ヶ島町と越生町は隣り合っている。尾根ひとつで隔てられた集落が、行き来するのに、峠越えは重宝していたはずだ。それを見越して舗装林道をつくって車時代を迎えたのに、トンネルを掘るのが簡単になって、それも使われなくなったということか。でも、手入れに姿勢をみると、まだまだ使っている雰囲気であった。
 12時18分、関八州見晴台につく。東屋があり、すでに二組5人が陣取っている。広い山頂の西の方のベンチにも一組のペアがお昼をとっている。私たちもここで昼食。霧が晴れない。じつはそこから高山不蔵尊の奥の院には1キロくらいあると、私は思っていた。ところがkwmさんが東屋の隣に立つ簡素な建物を覗き込んで、これが奥の院じゃないかという。ええっ? 私のGPSは、1キロ離れているよと示す。彼女のGPSは確かに、この奥の院を指している。その時はじめて、私のGPSが1キロほど手前で止まったままになっていることに気づいた。参ったなあ。こんなことだと、迷ってしまうねと話しながら、高山不動尊の方へ向かう。「国道に抜けます」と書いているのは、車向けなのであろう。下の方から車がやってくる。不動尊へのお参りも、車で来られるわけだ。

 高山不動尊も見てこようと立ち寄る。幾軒もの民家が軒を連ねるなかに、大きくお寺さんの巨大な甍を戴いた本堂が、薄暗い樹林のなかに立ちつくしている。覗こうにも中が見分けられないほど閉めっぽい暗さが周囲を覆っている。誰もいない。東屋があり、片隅にはトイレもある。その下に、「西吾野駅→」と表示した案内板が立てられている。GPSをいったん「休止」とし、そして「再開」としたら、停まっていたGPS表示が前回場所から今回場所までを直線で結んで、ぽんと再開した。これで迷子にならないで下山できる。
 私が先頭でいくつにも分かれる道筋ごとにGPSを確かめて、何本もの下山路のなかの一番短時間で車を置いたところにたどり着けるルートへ踏み込む。標王500メートルあたりで、「パノラマルート」と名づけられた未知との分岐にでる。事前にkwrさんが調べたのは、このルートを下山する。私が考えていたのは、少し大回りになるが、時間的には早く辿りつけるルート。パノラマルートは、下の方の道がジグザグに切られて急斜面を下る。そう話すと迷わず、じゃあこちらにしようと周りのルートをkwrさんも選ぶ。ここから彼が先頭で進むが、このところから足元の岩が滑りやすく、バランスをとるのに苦労している。
 本堂のところから55分で、車を置いたカフェに着いた。ほぼ2時。行動時間は5時間30分。お昼時間を除くと約5時間10分の歩行であった。まだ雨は降らない。
 そそくさと出発地点へ向かい、kwrさん夫妻と分かれて帰途に就いた。予報通り、3時前から雨が落ちてくる。道路はさほど混まず、1時間半で帰宅。気持ちの良いハイキングであった。

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