2020年7月27日月曜日

とんび


 新型コロナウィルスのお蔭で、古いドラマの再放送を観ることができる。7/25には、重松清原作の「とんび」の前編と後編、各73分が一挙に放映され、録画で観た。既視感があった。原作は読んだ覚えがある。ひょっとしてと思って、調べたら、2011年(2011/11/26)に「我がことも他人事、他人事も我がこと」と題して感想を書いていた。転載する。

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 重松清『とんび』角川書店、2008年)を読む。子どもが生まれ、育ち、親元から離れて行き、その子どもが親になるという、親と子とそれをとりまく人々の物語である。主人公は私たちより少し上の年齢か。高度成長からバブルがはじけるころまでの時代の流れは、ちょうど私たちの子育ての時代と重なる。そのせいか、何度も目をうるませながら読みすすめる。
 舞台となる街の設定も、岡山県に隣接する人口20万人の市。ちょうど福山市の半分くらいの人口であるが、少し行くと海辺に出るイメージは私が育った玉野市と似ている。もちろん方言はほとんど変わらない。小説は読む者がイメージをつけくわえながら読み取るから、たぶん体に刻まれた無意識が「なにか」に反応して、目が潤むのであろう。その「なにか」とは何か。
 重松清は、親と子、育ちゆく子どもの姿を、内面の微妙な揺れ動きとともに描いて秀逸な作品をものしている。『とんび』では子どもの内心はほとんど描かれないが、主人公である父親の、子どもを介在させた気持ちの揺れ動きは、不器用なキャラクターと周りの人びととのやりとりによって浮き彫りになっていく。
 重松清は[子どもを育てるのは親のつとめ、一方的な贈与である]と信じていて、それを確信することができたときに、親は子から、子育てから自律するというメッセージを、この『とんび』から送っているようである。むろん、子が親となってその確信にめぐり合って己の来し方を再認識するという二重底に、物語はなっているのではあるが。そのことが、私を涙目にさせる。うれしいのである。私自身の感じとってきた「自己認識」が行間に垣間見えるからであろうか。
 親との若いころの確執も記憶はすっかり薄れ、あることはことばとして抽象化され、あることは身体の記憶として心中深くにたたみこまれて、いずれにせよ、昇華されて心中におさまっている。
 親ばかりではない。ふるさととか、旧友とか、街の風景を含む時代そのものが、すでに現実のものというよりも、遠い、あるいは高いところに蜃気楼のような印象を残して見えている。過去は過去、よきものとしての過去をとりだすこともできるし、現在とのつながりを見つけ出すこともできるが、身体の現在の感覚を切断するほどの痛みは伴わない。我がこともどこか、高みではないが、ひとつスクリーンを挟んでみているような視点が、加齢とともに滑り込んできているようなのだ。距離をおいてみている。言葉を換えて言えば、他人事(ひとごと)なのである。
 これが自律だ、と思う。我がことも他人事、他人事も我がことのように感じとれる。ただ感じとれる。考えると、つまらない言葉の羅列になる。こうした地平にふと佇ませてくれたのが、重松清だと言えようか。
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 観ていてひとつ感じたことがある。小学校時代からの親しかった高校の同級生が、地元の大学へ行った。帰省するごとに彼とは話すことがあったが、かれもまた「とんび」同様、母一人子一人の母子家庭。父親は戦死していた。そうか、彼が岡山の大学へ進んだのは、母親を一人にしておけなかったからかと、はじめて思い当たった。岡山で就職し、後に結婚して東京住まいになり、90歳近くになってやっと母親が決心して東京に来て暮らすようになった。
 兄弟が5人もいた3男坊であった私は、親元から独立することばかりを夢見ていて、その通りに運び、じつは親のことなど一度として心配しないで、こちらで暮らすようにしてしまった。だが、親の暮らしを気遣って「ふるさと」を離れるわけにいかなかった人たちも、考えてみるとずいぶん多かったにちがいない。いや、いつか亡母のことを記したときに、私の弟が母親を残して関東の大学へ行っていいのかと述懐していたことを、思い出した。兄たちが次々と出郷していくのを(母親とともに)感じていて、そう思ったのであろう。弟の心裡を推し量ることさえしないで、のうのうと暮らしてきたわが身を、情けないなあと思うが、いまさら、後の祭りだ。
 ま、仕方がない。子どもが自律することって、そういうことよ。わが身のやって来たことを振り返ると、今の息子がどう振る舞っていようと、知ったことではないと見切るところにまで、歳を重ねてきてしまった。
 そうか、もうひとつ。重松清の「とんび」は、鳶が鷹を生むような物語りでもある。これは、戦中生まれ戦後育ちの私たちにとっては、経済成長から呼応度消費社会を経て、バブルがはじけ、その後の「失われた○十年」という特異な時代の、特異性の象徴のような物語である。鳶が鷹を産まなくても構わない。トビがスズメになっても、シジュウカラになっても、自律して人生を送って行けるようであるなら、それで十分という物語りが、これからの時代にはふさわしいかもしれない。
 そこもまた、能天気な時代であったなあと、感じる。ごめんね、ピーヒョロロ。

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