2020年7月30日木曜日
水滴る奥日光
今日(7/29)も雨。今年の梅雨は、どうなってんだろう。もうじき8月だぜ。いつもなら、「梅雨知らず」と言われる奥日光も、連日の雨、雨、雨。
でも、もともと雨だと思っていれば、雨はどうってことない。
今日も赤沼から歩き始めた。歩くはじめる前に、赤沼のバスセンターの案内センターに立ち寄った。戦場ヶ原はほぼ立入禁止。昨年の台風19号が残した爪痕の始末がついていないのだ。
どうして、一年近くも? と思うかもしれないが、栃木県の予算案がどうつくられ、どう執行されているかわからないから、外から口を出すわけにはいかない。でも、案内所のガイドは、大切であった。小田代ヶ原から泉門池に出て、そこで食事をして湯滝に抜ける、湯川沿いのルートが閉鎖されている。
えっ? とすると、森の抜けるルートか?
その通りであった。昔は冬場しか使えない、案内標識のない森の中のルート。ワケ知ったる人が案内して、森を抜け、湯滝へ向かうルートは、周辺の地形をみながら、山の裾が湯滝と泉門池からの笹薮(あるいは雪の原)と出合うところを目指して歩くことで通じていた道である。ありがたい。
話は前後するが、赤沼から小田代ヶ原までの間を歩く人たちは、結構多い。皆さん傘をさしている。中には、立ち止まって鳥の声と姿を追い続ける方もいて、皆さんそれぞれの好みに応じて、このルートに足を運んでいる。聞こえたのは、ホトトギスとウソと何やらわからぬ鳥の声。
実際歩いてみると、小田代ヶ原から泉門池のルートも、本当によく整備されている。昔の木道二本も、六本を組み合わせた広い木道に付け替えられ、小田代ヶ原の入口から出口まで、しっかりきちんと整備されつくしている。バリアフリーにするための工事であったそうだ。
小田代ヶ原はホザキシモツケの花盛り。加えて、ノアザミとニッコウアザミが満開であった。泊まった宿のガイドがとった小田代ヶ原の写真が、上記の二つと貴婦人を構図に入れた見事なものであった。あとで撮影者のアベサンに聞いたところ、「これが見られるのは、今年が最後かもしれません」という。写真のすぐ外側と手前に大きく育つ木々があって、来年になると、もうこの姿は目に入らないということだそうだ。見ていた私たちは、ところどころにあるトモエソウの終わりかけた花に風情を感じていたのですがね。
途中追い越していった、アラフォーの元気なお姉ちゃんに案内してもらっていた十数人のグループも、隊列の後ろの方の人たちは、おいおい大丈夫かよと思うほどよたっていたが、私たちを追い越し、お昼をほぼ一緒のところで過ごし、少し先に出発したが、ついに、湯滝まで追いつくことはなかった。たいしたものだ。
go-toに団体はないって? あの人たちは「若い人たちの団体」だったろうか。「年寄りの団体」だったろうか。う~ん、ひと口に年寄りともいえないから、ま、go-to好みの「団体」さんだったのだろう。でもガイドはたいへんだろうなあと、団体を率いたことを思い出して、同情している。
それでも泉門池に着いた頃は、雨が落ちていなかった。雲の中。お昼にする。男体山は見えない。昔はここにシカが現れたりしたが、今は駆除がすすみ、また、シカ柵が設えられて、姿をみることはめったにない。そうそう、シカが運ぶというヒルも、一匹をルート上に見かけたくらいだった。
湯川沿いに代わる湯滝へのルートは、しかし風情がない。森の道と呼んだのとは異なり、切り払われた笹原が何だか乱暴な人工物と変わらぬ 道にみえた。なんだろう。人の設えたものは、全体の景観に溶け込むかどうかが問われるのではないかと思った。この道、今年作ったものだそうだ。昨年の台風19号で通れなくなった湯川沿いの木道に変わるルート整備を環境省がすることにしていたのに、いつまでたっても取りかからぬのに業を煮やした地元の観光業者が「これでは小学生の修学旅行でここが使えない」と強く懇願して、栃木県と日光市が国から土地の借用を願い出て、この道を開いたそうだ。突貫工事だったのだろう。
湯滝の水が、例年になく多かった。滔々と流れる湯滝の見事さは、標高差で華厳の滝に及ばないが、間近に見える点では、それに勝るものがある。その湯滝の脇の道を流れ口まで上る。この道も整備され、手すりのついた標高差100mの歩きやすいルートになっている。
その湯滝の落ち口から南に進路を変え、南岸を通って湯元へ向かう。こちらは深い森と湯ノ湖の湖を隔て辿る、面白い道。踏み跡はしっかりしている。ただ、押し寄せる外山の山体が崩れたところもあり、なお、木の根がしがみついて崩落を抑えているところも通過して、歩きごたえのある道となる。冬場には、通行止めとなることが多い。富山の雪が崩れ積もって、道を塞ぎ、除雪もできなくしてしまうのだ。
こうして今日の、小田代ヶ原と湯ノ湖縦走は終わった。行動時間は4時間40分。標高差はせいぜい百メートルちょっとだから大したことはない。師匠も、植物ばかりでなく、ここ十数年の間に歩いた孫たちとのことを思い出して、感慨深げであった。
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