2020年7月18日土曜日
沈黙の塊
退職して18年目を過ごしている。こんなに長生きするとは思いもしなかった。友人とのお付き合いも、絶えるに近いほどなくなってしまった。年に1回くらいしか会わないことになる。風の便りに、ある友人の奥方が亡くなったと知った。
無沙汰を詫び、風の便りを聴いたと振って、お悔やみの手紙を送った。何を書き送ったか、その内容は手元に残していない。その彼から来た返信が、書斎の積み上げられた書類の中から出てきた。目を通し、これは記し置いておくべきものだと思い、いま、転載しようとしている。
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励ましの手紙をありがとうございます。
亡くなってすでに半年を過ぎて、残されたものの孤独をかみしめています。ただやはり軽い虚脱状態に陥ることがしばしばといったところでしょうか。死後の宗教的儀式などは、たちはだかる理解不能な死という現実に、暫くは対峙しないでいられるような装置として幾分か機能しているのでしょうが、かといってその後に真の解決策というのが有るわけではないのですから困ったものです。ひとり哲学の井戸でも掘り続けてみるほかないのでしょうか。最近では溜息の後の、まあしょうがないやァ、が口癖のようになりました。
先の、ことばを考えさせる木霊云々は久しぶりの*田節、懐かしくそして羨ましく拝読しました。ことばを綴る能力や習慣というものが、もしほんの少しでもわたしにあったなら、妻の死が始まってから現在まで、心の移り行きだけでも書き残しておけたのにとあらためて思いました。悲しみがいつまでも已まないので、心が身体から独立したかのように覚醒したまま眠らないという状態が続きました。悲しみが生の実相を次々と切り裂いて見せてくれるということなのですね。その頃は、この現在を書くことができれば小説家になれると思ったものです。
死後しばらくしてから、記録だけでもと整理し始めたことがありましたが、思い出すこと自体が辛くなり放棄しました。悲しみのさ中にいるずぶの素人にそんなことができるわけもありませんでした。
時として思わず溢れてくるもの。凡人がそのままにしてしまうところ、小説家や詩人というのは、おそらく己を深く沈潜させることで心そのものになり切って、彫刻家が素材に向かうようにして自らを彫り込んで形にしていくのだろうと思います。
しかし、過剰にも装飾にも決してなることのない素材の塊。沈黙の塊。これも悪くない、かな?
数カ月前から毎朝仏前で般若心経などを唱えるようになったのも、自分を愛してくれた実家の祖母が毎朝欠かさずに読経するのを、妻が好ましい光景としてわたしによく話していたからという以外に理由はなく、なぜ読経するのかと問われても答えようがありません。彼女が九歳の時に亡くなった生みの母親やふるさとのことなどをつねに偲んでいた妻が、あの世で天涯孤独のように思えてきたのも数ヶ月前からです。さぞ淋しかろうと、実家の祖父母からの位牌を新たに作って妻の隣においてあげることにしました。遠い故郷を離れ縁もゆかりもない土地で、縁もゆかりもなかった男の妻として姓も変えられ、子供ももうけて暮らしては来たけれど、仕事も辞め、これから少しはのんびり暮らしていこうとしていた矢先に男より先に死んでしまった。――もう淋しくないよ。お母さんもおばあちゃんもみんな君の傍にいるからね――わたしもこれでひと安心なのですが、位牌ってそういうものなの? と言われてもわたしにはわかりません。だって本当は、人生って、そんなものなの? なんですから。位牌なんてどうだったいいんです。
まさにどうにもならない沈黙こそが、わたしの現在を正しく表現しているのだろうと、そんな混沌の中にいます。残された時間に、ささやかな希望だけは持って・・・
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「ことばを考えさせる木霊」という言葉をどこかに記したろうかと、検索をかけてみた。あった。
2015/11/27のこの欄に《「ことば」を考えさせる木霊》と題して小文を記している。
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谷川直子『四月は少しつめたくて』(河出書房新社、2015年)を読む。出版社の編集者と詩人との、仕事の上のかかわりが、街のカルチャーセンターの詩の教室を介して、「ことば」と私たちの現実存在との「情況」に迫る。
そういうと難しそうだが、日ごろ私たちが使っている言葉の「過剰」と「軽さ」と「私たちのありよう(現実存在)」を、「ことば」と「ありよう」の両側から迫る。すると、「過剰」と「軽さ」の浮かび上がらせる「かかわり」が見事に抽出される。「ことば」は「衣装」でもあり「装飾」でもある。それが絶えず発せられないではいられない日常の現在、いつしか「過剰」となり、現実存在の内実を侵して「(本体の)ありよう」が空っぽになっている。そういう「情況」を静かな運びで掬い取っている。
読んでいると耳が痛い。こうしてブログを書いているというのが習慣化すると、いつしか「(書かないではいられない)装飾」の気配をまとわせる。無理をして書こうとすると、ときに、「粉飾」になっていることにも気づかされる。なぜ書くのかとつねに自分に問いながら書くということは、実際には難しい。沈黙すればいいじゃないか、そう思うこともたびたびある。沈黙することが「凡俗な己」にみえるとき、観ている自分は「凡俗」の側にいるのか「詩人」の側にいるのかも、気になる。
もちろん私が、「詩人」の側にいると思ったことは一度もない。いやむしろ(己は)常に「凡俗」の側にいて、そこに居直ってでも「凡俗」の思索や感性から「情況」に攻め込んでいると思っていた。でも薄っすらと、「凡俗でない己」があることがそう見せている、と感じないわけではないから、いつも「粉飾」しているんじゃないかと忸怩たるものを抱えつづけてきている。
いつかも書き記したが「ブログは2年半つづけばいい方」とマスメディアに長年勤めた方がおっしゃっていた。たぶんブログの書き手は、自らの鏡を見るに堪えなくなるのが2年半までと、私は聞き取った。今ご覧になっているブログは1年半しかアップされていないが、じつは開始してから満8年になる。だが、以前アップしていたプロバイダがブログ機能を「終了」したことによって、こちらに乗り換えるしかなかったのだ。つまり私は、懲りずに8年も続けている。月に15回から20回ほどアップする。残りは外に出払っているか、書けない状態にある。だが、この本を読んでいると、沈黙すればいいじゃないか、そう思う。
じつは高齢者(65歳)になった機会に、ブログ開設をした。還暦を迎えるころに、私より10年早く先を歩いていた方から「結局、自分の得意技で生きるしかないよ」と教えられた。私の得意技といえば、山歩きとおしゃべりしかない。ならばその技に磨きをかけてと思い立ったのが、ブログ開設のはじめであった。
「おしゃべり」は「過剰」と「装飾」の最も庶民の代表種目である。マスメディアも日々それに満ちている。「磨きをかける」には二通りある、とこの本は教えている。一つは、ますます装飾を洗練すること。もうひとつは、自分の「ことば」を繰り出すこと。詩人ではないが、私も後者を歩いていると(勝手に)考えていた。だが、そうではないのだね。常にそう(自分のことば)であるかを問い続けなければ、「ことば」は世の潮の流れに浮かんで流されてしまうのだ。だって言葉そのものが世の中の浮遊物に過ぎないのだから。
静かに始まり、静かに終わるこの小説は、しばらく私の内部に木霊して、そんなことを考えさせている。
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この小文と「お悔み」とをどういう関係において送ったものかも忘れてしまった。だが、友人の返信が記した「沈黙の塊」こそが、人の在り様の本態ではないか。人生ってそんなものなのよと、彼自身も記している。
ことごとく沈黙の塊。のはずなのに、素材とメディアの広がりによって、沈黙しているのは故障しているとみなされるようになった。人もまた、沈黙しているのは無能呼ばわりするようになった。人が変わってしまった。わたしもかわってしまった。
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