2020年7月8日水曜日
まだ原木とみる「敬意」
丸山ゴンザレス『世界の危険思想――悪いやつらの頭の中』(光文社新書、2019年)を手に取った。標題が面白そうと思ったから。殺し屋、裏社会、売春産業、麻薬の売人、その差配をする麻薬カルテルやマフィア、そういう悪いやつらと会って、言葉を交わし、ときに(少しばかり)行を共にし、やつらが何を考え、なぜいとも簡単に人を殺せるのかみてみたレポート、という感じの本だ。
なぜこんな本を図書館に予約したのか、わからない。どこかでコマーシャルを見て、書名に気持ちを惹かれたか。いやじつは、この著者の経歴が目を惹く。《「考古学者崩れ」のジャーナリスト》と経歴紹介にある。どう「崩れ」たかは、わからない。修士号までもつらしい。「ダークツーリスト」とか「クレイジージャーニー」とか「罰当たり旅行」という署名の本を出しているようだから、まちょっと、場を変えた戦場カメラマンみたいなことをしてきた方か。今年誕生日が来れば、43歳というから、まだ若い。
でもこの本は、悪いやつらに接したよ、けっこうヤバかったぜ、やつらは何の迷いもなく人を片付けるよ、と体験を記す。徹底して場面と情景を描写する具体性はない。そういう意味では、緊迫感は伝わってこない。いやけっこう緊張したよとご当人が言葉にするから、よけい、ふ~んそれで? とページを繰るだけ。ジャーナリストという肩書は、ちょっと誇大にすぎるかな。
では、「考古学」の入口に立った方としての、文化人類学的視線が鋭く見られるかというと、それもない。ただ、そういう現場に踏み込み、いろんな体験をしただろうなあという感触は、行間に浮かぶ。でも、それが意識されて描き出されるわけでもないから、ドキュメンタリーにもならない。戦場カメラマンとすると、撮った写真が全部ピンボケってところか。
ただ、若い人で、こういう旅をしている人がいるんだというのは、わかる。それを拾い出した光文社の編集者がおだてて書かせたのだろうが、今一つ焦点が絞り切れていない。でも、この著者の体験を「原木」だとみると、おもしろい世界を見ていると思う。
ひとつ、彼が「悪いやつらの頭の中」を描こうとするなら、ドン・ウィンズロウのような小説でも書いて、「犬の力」から解放されるにはどうすればいいのかと祈りを捧げるような地点にまで行き着くことかな。
あるいはもう一つ、文化人類学的に、社会人類学とでもいうのかもしれないが、「わるいやつら」の諸相を切りとって、社会か人類史か文化の差異に位置づけて「人間の絵柄」を描き出すかすると、面白いし、新境地を拓くことに通じるかもしれない。
40歳を超えてなお、原木でいるというのは、高度消費社会ではよくあること。人生は長い。せいぜい遊び回って、ふと立ち止まってみると、「人間てオモシロイ」と感じている自分の原点がみえてくるかもしれない。何と言ったっけ。そうそう、「大器晩成」と、昔なら小学校の教師が勉強しないと嘆く母親に子どものことを気長に見てやってくださいというときに使うセリフ。それを思い出した。別に晩成しなくても、構わない。晩成かどうかを確かめるに近い歳まで生きてきたということが、じつは大器であったということなのかもしれないからだ。
この著者が最後に見つけた結論が、
《…相手を「甘い」と思って「ナメる」ことこそが人類の持つ感情のなかで最悪に恐ろしい危険思想だ…》
《悪意は突然生まれ、容赦ない行動が実行される》
という見立て。そして、「相手に対する敬意のなさが原因としか思えない」と結論する。その通りだね。
しかしそれを体感するのには、何も「悪いやつら」とかかわる必要はない。ご近所の人たちでも誰でも、ちょっとよく観察してみれば、すぐにわかることだ。
むしろ、相手に対する敬意がどんなものであるか、どうしてそれが日常のかかわりにおいて身に付かないのか、わが身の裡に問いかけて掘り下げてみたらどうだろうか。「考古学者崩れ」として掘り下げてみると、案外、面白い文化人類学的考察がまとまるかもしれない。
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