2020年7月26日日曜日
完結編を眺望する
5/23に予定されていた卒後60年ぶりの「高校同窓会」が、コロナウィルスの関係で11/14に延期となった。その幹事長から「10/5に幹事会を開いて11/14の開催を行うかどうか決定する」と知らせがあった。それと合わせて彼が指導してきた「サッカー」に関するエッセイを添付してきた。私が高校生の頃には「蹴球」と呼んでいた。高校の授業ではラグビーを教えていたが、サッカーはやらなかった。手をつかっちゃいけないというルールだけで、グラウンドを走り回るのは、わかりやすいと言えばわかり易かった。だが、ボールを取り合ってすり抜けられるのは、身体能力的にとても適わず、いつも騙されたような無念さが残って感じが悪かった印象が強い。
ゲームとしての面白さに注目するようになったのは、日韓共催のワールドカップ以後ではなかったか。子どもの頃にはボールを追いかけるゲームだと思ってきた。それが、パス回しによって自在に変化し、あるいは一人がボールをもって突破するという変幻自在の組み立ても、敵味方の配置に自分の立ち位置を位置づけて壁を突破する戦術に結び付けていくチームワーク。なるほど浦和レッズの本拠地として長年ファンを育んできた地だけのことはあると、感嘆してみるようになった。埼玉スタジアムまで自転車でも15分ほどの距離に住むこともあって、試合がある日に駅から発着するバス便の賑わいも関心を惹くようになった。
以下のような返信を幹事長には送った。
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お便り有難うございました。10/5の幹事会で、11/14の同窓会が開催される決定が出ることを祈っています。ただ、関東地方からは「参加しないで」ということもありうるかなと、思っています。
サッカーに関するエッセイを読ませていただきました。若い人たちにバトンを渡すのは、たいへんですよね。私はいま、あることで知った「岡田メソッド」(英治出版、2019年)を読んでいます。サッカー指導者の岡田武史が2014年にFCバルセロナのメソッド部長、ジョアン・ビラから次のような言葉を受け、考えた結果を集大成したものです。
「スペインにはプレーモデルという、サッカーの型のようなものがある。その型を、選手が16歳になるまでに身につけさせる。その後は、選手を自由にさせるんだ。日本には、型がないのか?」
岡田はサッカースタイルやプレーモデル、テクニックとプレーパターン、年代別エクササイズから、コーチングやチームマネジメントに至るまで、一つひとつ子細に型を取りだして、解説しています。いわば、岡田武史のサッカーにかける世界観ばかりか、プレーヤーや子どもたちに向ける人間観も浮かぶような記述をして、面白く読みすすめています。
ありがとうございました。36会Seminarの人たちにも、転送します。まだまだコロナは収まりそうもありません。お気をつけて、お過ごしください。
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岡田武史『岡田メソッド』(英治出版、2019年)は、FCバルセロナ のジョアン・ビラの言葉に刺激を受けた岡田武史が、サッカーのプレーモデルを組み立て、愛媛県の今治に本拠を置いて若い人たちを指導し、同時にクラブチームや小中高校のサッカー部の指導者たちを糾合して、指導法と実践とを5年程かけて体系化してきた。本書は、それを一冊にまとめたもの。しかも岡田武史は、今治のチームが四国や全国で活躍することによって今治の指導チームを、新しいサッカー選手養成の日本の本拠地とすべく、現地の社会に溶け込んで地域振興も含めて全力投入していることがうかがえる。
スペインと日本の指導法の違いも興味深い。根柢には自然観の違いがあるように思う。スペインはサッカーという人為の作ったゲームには、まず人為のプレーモデルがあり、それを若い人たち(未だ人ならざるヒト)にはまず叩き込んで、それをわがものにしたのちに自在に展開させるという発想。「自然:ヒト」はフォルムを与えることによって「人」にするという人為の介在が不可欠と考えている。それに対し日本では、ヒトは生まれながらにして人であり、天性の才能や才覚を自然に伸ばし、その上に戦略や戦術という方を憶えさせるのが「じねん」だという感性が底流している。
スペインには、ゲーム・プレイモデルという人為性が、人間をつくると考える信念が横たわる。それにたいして日本では、子どもという自然性が天性を拓いていくのが「じねん文化」という感性に浸っている。サッカーというゲームに関して言えば、スペイン流は明らかに「勝つ」ことへの必然の展望が開けている。それに対して日本流は、ゲームを「娯しむ」ことが究極の目指す所。その違いがサッカーの勝負を本業としてきた岡田武史には、目からウロコのジョアン・ビラの言葉となって響いたのであろう。
岡田メソッドは、そういう意味で、岡田武史自身のサッカー人生の集大成、完結編である。むろん岡田とともに、ほかのサッカー指導者や地域の人たちを巻き込んで、しかも全国的な展開を視野に入れてすすめていることからしても、いわばサッカーという窓口から、世界の頂点に上り詰めるまでの展望を拓くものといってもいいであろう。本書を概観すると、その眺望が見えるように思う。
でも私は、ふと手塚治虫のマンガ「ジャングル大帝」を思い出す。岡田メソッドの眺望は高台の頂点にたつライオンの姿を描き出している。しかし手塚マンガのそれは、ライオンの眼下の向こうにさらに、はるかに渺渺たる森が広がる。その景観こそが、私の完結編の眺望に相応しくみえる。私は自然の中へ解けて消えていくのだと。
さてどちらの眺望を完結編としてお好みかは、ヒトそれぞれであろう。ただ一つ面白いと思うのは、岡田メソッドが四国の今治という町を拠点に、そこを全国区に、世界に広げていくという位置づけを手放さないことである。まさにコロナウィルス時代にふさわしい、具体性を備えていると言える。
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