毎日歩くように心がけている。週に一回山へ行くだけでは、体調維持がムツカシイ。筋肉や骨の衰えっていうよりも、細かい刺激がないと身体が眠ってしまうような、そのせいで微妙に衰微していく気配を感じる。そう感じはじめると、ほんとうにそうなっているような気になるから不思議だ。正月から毎日、1万歩以上歩くようにしている。
いつも見沼田んぼでは、面白くない。昨日(1/9)は、ふだん足を向けたことのない住宅地へ向かった。
わが家のある周辺地域は、30年ほど前まではまだ、生産緑地というのか、畑がたくさん残っていた。そもそもわが家もその一つだったせいで、引っ越してきて何年かは、向こうの高台にみえる森の中からカッコーの声が聞こえていた。わが庭にも、アカハラやシロハラやジョウビタキが姿を見せ、それだけでもいいところにきたなあと嬉しくなったものだった。
ところが、虫食いのように住宅が立ち並ぶ。わが家の西側にも五階建ての大きなマンションが立ちふさがって、森が見えなくなった。それとともに、夏の訪れを知らせるカッコーの声も消えてしまった。ジョウビタキやアカハラが、次いでシロハラが来なくなった。
来たばかりのころからご近所を歩いたり、通勤の自転車で東から西へ浦和の中心街を抜けるように通っていたが、生産緑地が徐々になくなる。それにつれて、浦和駅から東へ延びる道路の拡幅工事が進む。高台から見えていた富士山の方角に何十階建てのビルが建って「富士見台」という地名が、名ばかりになった。
ある時気づいたのだが、土地の所有者が亡くなって遺産相続をするごとに建物がセットバックされて道路が広くなり、あるいは土地を売り払って建売の住宅地に姿を換えているのだ。土地の所有と相続の、都市計画と法の無計画ぶりを表すように細切れにして建てつける。浦和駅から東へ向かうにつれて細切れはひどくなり、4メートルという最小限のくねくねと曲がる道路を取り囲んで同じような戸建ての建売が並ぶ住宅地。
ところどころに現れる県営団地。幼稚園、保育所、小学校や中学校、公民館とかスーパーやコンビニエンスストアと公園と水のない遊水地。そして、未だ残る畑、あるいは何にするのか決められないまんまの耕作放棄地や土盛りして雨ざらしにならないようにビニールで覆って杭を打った土地。更地のまま駐車場にしているのか、空地。その後に拓かれた「第二産業道路」という名の幹線道路沿いには、今まさに開発途上という風情の、広い森がすべて切り払われ、土を盛り上げて商業地として売り出そうという意欲を露わにする広大な土地が雑草を生やしたまま広がっている。
変貌するそれらが、築後何十年か経った古びてゆく佇まいとともに、駅から4㌔ほどのわが家の方へ連なる。その住宅街を、うろつくように歩く。寒いから陽ざしを受けるように道を選び、でも狭い道では日陰になるから陽ざしのある方角へ曲がりくねる。行き止まりもあり、くるりとひと回りして元の場所に戻る道も、随所にある。妙なことに、天気の良い土曜日だというのに、人の気配が極めて少ない。もう子どもたちも巣立ってしまって、年寄りしか暮らしていないのだろうか。わが団地と同じで、古びていく住宅と同じペースで住民も古びていっているのかもしれない。
そういえば、通りすがりの公園には、小さな子どもを連れた父母の姿があったなあ。でもこの人たちは、また新しい相続問題を抱えることになった元生産緑地の新しい集合住宅や戸建ての地区に住んでいるのではないか。そんな気がする。
その端境の地区を経めぐって歩く。当然見知らぬところに身を置くことになるが、何㌔も歩かないうちに、ランドマークと呼ぶにはちょっと小さいがスーパーや衣服のチェーン店の看板が見えるから、山を歩くよりは地図無しでも困惑しない。そのうち、いつも自転車で通っていた覚えのある道路に出る。さいたま市はいまも、人口の社会増がすすんでいる。京浜東北線沿線の繁華街から西の荒川左岸の秋ヶ瀬公園、東の芝川沿い見沼田んぼへと向かって住宅街が広がっている。その乱雑な「開発」の境目が、今日の私の散歩道であった。
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