2021年1月2日土曜日

不信心者の正月

 読み終わった本のことを考えていて、そうだそれを書こうと起きだした。朝5時。昨日、元旦のこと。「除夜の鐘、聴いた?」とカミサンに訊ねる。いつものように夜9時ころには寝入っていた。

 コーヒーを淹れ、パソコンを開く。

「ほらっ、そろそろ時間よ」。カミサンの声にテーブルを離れ、テレビ体操の構えをとる。珍しいことに画面のインストラクターは踊りはじめ、バック転をし、リボンを振りながらつま先立ちで立ちまわる。私たちも、こんなことができるのよと自己主張しているようだ。そうよね、まさか振袖では出られないものねとカミサン。体育大学の学生さんだと聞いたことがある。常のタレントと違って、体躯がしっかりしている。画面にはちょっと太り気味に映るけれども、いかにも健康的な雰囲気が醸し出されて好ましい。

 布団を上げ、またパソコンに向かっている間に、カミサンが食卓の準備をする。いつもの年のように、数の子や蒲鉾や煮物にマリネがついて、雑煮がある。私用には丸い餡餅が入っている。結婚してとっくに半世紀を超えるというのに、ついにカミサンはこの雑煮をゲテモノのようにみる見方を変えなかった。だから私用。私は手に入れていたお屠蘇代わりの日本酒の口を開ける。備前焼の御猪口の一杯だけカミサンは付き合い、私は何杯も頂戴しながら、やっぱり日本酒が一番身にあっているのかなと思う。

 パソコンの一文を仕上げて、サイトにアップ。が異常が来る。賀状が届く。カミサンは返事を出すのを選り分けている。私は返事は出さない。コロナウィルスを機に「慎む」ことにした。羊さんの手紙のやりとりのような賀状をやめよう。アイツから来るから返事を書こうというのをやめて、ワタシの無事を問いたい人にだけ賀状を出す。つまり儀礼的な、習慣化したお付き合いを削ぎ落として、身の裡にこだわりのある方にだけこちらの消息を伝える。そう決めた。まあ、これまでも八方美人だったわけではないが、八分の一くらいにいい顔をすればいい。目を通していると「今年限りで新年のご挨拶をやめます」と記した60年来の付き合いの方もいた。そうか、ヤツもそう考えるようになっていたか。

 朝からお神酒を頂戴した後ろめたさか、今週は山へ行かなかった申し開きか、ちょっと歩いて来ようと、TVをみているカミサンを置いて、見沼田んぼへ足を向ける。いつもと変わらない風景。うん? そうだ、着飾った人がいない。皆さん普段着のような地味な色調で歩いている。西縁沿いに立ち並ぶサクラの老木が陽ざしを受けて退屈そうに見える。自ずと脚は速くなる。そういえば年末のTVで、1秒間に1メートル歩けるようでないと、老化が進み過ぎとか言っていたな。ということは、分速60メートル、時速3・6㌔か。そんな計算をしていたら、時速6㌔で歩くってこれくらいかと自問し自答しながらの速度になった。向こうからジョギングの若い人がやってくる。後から年配のジョガーが追い越していく。でもこれで時速6㌔ならマラソンが4時間台で走れるってことか。おや、この速さで4時間とはいわず、もっとゆっくり40㌔を7時間歩けるなら、四国のお遍路さんを30日間で経めぐることができるな。毎日7時間歩き、宿に泊まってお神酒を頂戴し、ひと月そうやって過ごすというのもいいかもしれないと、埒もないことを考える。

 氷川女体神社の脇にあるかかし公園に着く。駐車場に何台かの車があるが、人影が少ない。小さな子どもを連れた家族連れがいるが、もうお昼を少し過ぎるというのに、お弁当を広げている姿が見えない。ま、寒いからなと思い、氷川女体さんでもみていこうかと神社の方へ向かう。

 ところが、氷川女体神社は、不信心者を受け容れてくれなかった。初詣の「お参り」にきた方たちは、境内に上がる石段の手前からずらりと行列を作っている。石段の半ばには人影はない。「密」を避けて、境内へ上がる人数を制限しているのだ。この行列に並ばなくては「お参り」はゆるさじと神さんから申し渡されているみたいだ。

 ふ~んと列の長さを見て、引き返してきた。家に帰ってスマホをみると12000歩を越えていた。お酒気も抜けた。こうして不信心者の一年が、また、はじまったのでした。

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