2021年1月5日火曜日

何処にこんな意固地さが

 正月の儀礼的なやりとりが過ぎた。暮れに「めでたいと言葉にならぬ年の暮れ」と思い、「身を慎む」ことにした。「慎む」というのを(自分の)ナイーブな心持だけに従うこととすると、それはそれで結構わがままな振る舞いじゃないかと思う。だが身の裡に湧き起る何かに素直に従うということが、どこかで社会的な儀礼に沿うような賀状は出さないことだと結びつく。そう決めて、賀状は半減した。そうすると、向こうさんも(賀状を受け取ったからには出さなくちゃあ)と反応しているとわかる人もいて、それはそれでさっぱりしたこともあった。

 だが、向こうさんからやってくる賀状もある。それに対する応答をしない。カミサンは自分あてのそうした賀状に、ひとつひとつ応答している。それが人に対する誠実ってもんじゃない、と思っているのだろう。「かんけい」に対する誠実というか、気遣いか。

 去年は、しかし、賀状というのは(まだ生きてるよ)という存在証明みたいなものだねと出すことに意味があると言っていたのではなかったか。なのになぜ、そんなに急転換したのか。そう自問してみると、どうも、昨秋の大学のサークルの先輩後輩同輩とのやりとりに起因して、湧き起ってきた感情のように思う。

 懐旧の情も、問い詰めてみると、自分の感覚や感情の源泉の一角を占めている。だから、やりとりそのものへの衝動がなぜ内発的に湧き起るのかと問うと、自分の輪郭を描くところに行きつく。そう思っていた。人との付き合いというのは基本的に苦手なのだが、だからこそ(自制してか)、けっこう状況適応的に(降ってわいた場の雰囲気をこわさないようにして)八方美人の振る舞いをしていたのかもしれない。でもそれは、他の人に対する応対を「自制する」のは、自分自身がちゃらんぽらんだから、他人になにがしかの瑕疵があったからといって、毛嫌いしたり責めたりすることはないじゃないかと思うからだった。

 そのいい加減さを勘案すれば、すれ違いや誤解や曲解があったとて、ヒトってそんなものよとおもっていれば、大抵のことはゆるせるはずであった。にもかかわらず、昨秋の古いサークルの、すでに半世紀以上も離れていたヒトとのやりとりが、これほど私の意固地さに結びつくのは、なぜなのだろう。それを考え続けている。

 実はその発端となった後輩や先輩とのやりとりは、それほど深く心もちに残っていない。そうか、60年代左翼の知的部分は、結局(私ら)庶民大衆の感性の次元に降り立つことができず、中空に浮いたまんまのカンネンを護持して、身を寄せ合っていただけなのかとみてとって、「かんけい」から離脱することにした。

「身を寄せ合っている」と決めつけるには、ワケがある。秋のやりとりがあったせいか、後輩のMさんから封書が送られてきた。彼の名を冠した「**新聞」と銘打ち、「年に1回の私の近況報告」とタイトルにふって、A3版裏表4ページ印刷のものが入っていた。「第30号」というから、ここのところ30年間(たぶん)賀状代わりに知り合いの皆さんに送っているのだろう。彼自身や彼の奥さんや子どもの仕事のこと、コロナ禍に移動が制約されてきたこと、家の建て直しに関する動きがあったこと、TVで報道された引き揚げ船で疫痢が発生して浦賀沖で留められたことが彼の父親の昔話していたこととかかわっていたことなどが記事風に割り付けされて、新聞の体裁をとっている。だがこれは、まったくの私信ではないか。どうして「新聞」と銘打つワケがあるのか。もちろん、田舎生まれ東京育ちの古稀世代が我が暮らしの第一次史料を提供するようなつもりで記すには、どんな名分があろうとなかろうと口を挟むことではない。だが「新聞」と銘打つからには、その記事の一つひとつに社会性が込められていなければならない。ここでいう「社会性」とは、それを読む者にとっても「かかわり」を感じることができる要素が込められていなければなるまい。もちろん世の中の動きは、なんであれ、他の人にかかわらざるべからずということからすれば、込めようと込めまいと「かかわり」は含まれて入る。だが、「新聞」と銘打つからには、発行者自身がっその「かかわり」を明快に提示してみせていなくてはならないのではないか。それが、ない。「近況報告」ならば、何も文句をいうことはない。だが「新聞」として発行するのであれば、その自らの「体験」が何を意味していると考えているのかを記してこそ、社会性が付与されてくる。「身を寄せあっている」というのは、その社会性が欠落しているのに気づいていないことを意味している。

 さて話をもとに戻す。後輩や先輩のことにはさしたるこだわりもなく、「お呼びじゃない。こりゃまた、失礼いたしました」と引き下がって済んだ。だが、サークルも専攻学科も同じであった同輩が、「ムツカシイことはわからない」と言って寄越したことが意想外であった。私がこだわっているのは、ここじゃないか。

 その同輩はしかしその後、専攻学科の同級生メールネットに1961年当時の写真を「発見した」と添付してきたり、北海道新聞の連載小説、島田雅彦「パンとサーカス」を読んだ読後感を送ってきたりして、さすが新聞記者だっただけのことはあると思わせる感懐を綴っている。ではその彼がなぜ、私の送った文章を「ムツカシイことはわからない」と応じたのか。おまえさんとは付き合いたくないと言ってるんじゃないか。そう受け取った。

 それが、賀状の応答に関する私の意固地さにつながっていると思われる。まあ、八方美人よりは頑固ジジイの方が私に似つかわしい。

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