2021年1月4日月曜日

触媒

 一昨年から去年にかけての年末年始の頃には、夢中になって教育問題について書いていた。学校のこと、教師のこと、一体何を(私は)してきたのかと胸中に湧き起る感懐を綴っていた。もう少し厳密にいうと、年の暮れの一週間に400字詰め原稿用紙にして120枚くらい、年明けの二日間で60枚くらいを書き上げて「ささらほうさら・無冠」の45号と46号としてまとめた。

 どうしてそんなにドライブがかかったのか。まだ現役で仕事をしている知人の教師から、「査読」を頼まれ、読んでいるうちに浮かび上がる違和感が、私自身の現場でやって来たことと交錯し、自分を鏡に映してみているような思いを浮き彫りにしたから、であった。

 いま振り返ってみると、書き流したにもかかわらず、一つのまとまりになっている。それは「ここがロドウスだ、さあ跳べ」といわれて跳んだような気配である。分かりやすくいうと、さあ目的が見つかった、書くぞという内発的な衝動が湧いて来たのだと思う。

 現役教師の若いときは、日々のやりくりとでもいうような生徒や教師たちとの具体的なアクションを紡ぐことに夢中で、なぜ、そういうアクションを繰り出しているのかなどを立ち止まって考える余裕がなかった。いや、そうではないか。それなりの「なぜ」は抱懐していたのだが、教室秩序を整えるためとか、これじゃあ生徒たちも心を落ち着けることが出来まいとか、教師たちの無意識に沁みついた「教育幻想」を引きはがすためなどと考えてはいたのだが、表層的な「なぜ」にとどまっていた。

 退職して70歳になるころまで教職を目指す学生さんを相手に、教育社会学とでもいうような講座を担当したこともあって、少し距離をとって自分の現場仕事を振り返る機会となった。つまりモノゴトを見る場が変わることによって、その人たちが必要とする視線の次元にわが身を適応させてきたと言い換えることができる。次元が変わることによって、「なぜ」を問う根拠への深さが変わってきた。

 それが後からみると、私自身の世界観や人間観、社会観などの輪郭を(意識的に)描き直す作業でもあったが、とは言え、教室という場面で繰り広げられる学生さんのものの見方や在り様に対して槍を突き立てるアクションが先行して、必ずしも私自身の自画像描出作業とは言えなかった。

 すっかり引退して喜寿になってからの若い現役教師からの「査読」は、したがって、より自画像に近い次元での自問自答になった。若い教師の文章は、いわば「触媒」として、私の身の裡に響いたのであった。そういうことでもなければ、ものを書く動機が湧き起ってこない。学者とか作家ならば、自ら「目標」を設定して、次はコレ、その後はコレとイメージを広げ、そのイメージ自体が自動拡張していく。つまり本人からすると天から書くことが降りてくる。自身はそれを言葉にして書き付けていくだけというように、言の葉が繰り出されてくるというわけであろう。だが素人のただのもの好きなブロガーには、そこまで天の恵みはない。日常触れたことを書き留めているうちに、自身を発見するような文章になっているというのが、精一杯だ。

 それに、「目標」を設定してそれに身を合わせるという方法をなんとなく採用したくない。そうやって自身の(自画像描出の)漂流をある流れにだけ限定するというのが、なんだかちがうなあと感じるからだ。もっとちゃらんぽらんがいい。人って、というか俺って、そういうふうに生きてるんだから、いま目が覚めたみたいに自己限定して狂うっていうのは、身の程知らずじゃないかって思う。

 そもそも「触媒」があるってことは、それ自体が「かんけい」におかれる/身をおくってことだ。語り掛ける相手がいてこそ、何を語るかが湧き出てくる。場を自分で設えることができるなら、語る相手を限定することもできる。作家だね、それは。それほどの力はないから、世の波が押し寄せてきて、それを被って反応するような「状況適応」的な自画像しか描けない。情けないが、いま、そういうところに立ってるんだと、一年前のブログをみて思った次第。

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