2021年1月7日木曜日

不可思議な山

 シューズケとかノボットというカタカナ書きの山名に魅かれた。埼玉県飯能市の低山である。

 地理院地図に登山道は、ない。この山が上れると知ったのは山と渓谷社の『埼玉県の山』。1993年の刊行だから、その記述が今もその通りであるかどうか、わからない。

 それによると、登山口の踏み跡は、ない。また、下山口辺りの踏路も不明となっている。併せて地理院地図にもルートがないということは、人が歩かないのだろうか。こういう山は、等高線がよく見晴らせる冬場に歩くのが一番よい。そして、カタカナ書きの山名。たぶん、地元の呼名がそのまま残っているのではないか。行ってみようと昨日(1/6)、足を運んだ。

 下山口のバス停付近に自転車を置き、登山口に向かう。「橋のたもと」とガイドブックに記されていた橋の向こう側にちょっとした広場があり、ベンチが二つおかれている。その脇の空き地に車を置きザックを背負う。ストックをもつ。たもとに少し開けた草地へ向かう踏み跡がある。その上は、民家。さて、すでにここで戸惑う。もし「登山口に踏み跡はない」と書いてなければ、探し歩いたかもしれない。だが端から「ない」とみていたから、どこか登れるところはないか、山裾を見て回る。設えられた階段がある。それを上まで詰めると、いくつものお墓が並んでいて、そこで終わっている。そうか、墓参りの参道か。

 墓の脇から急斜面に挑む。挑むという感じがするのは、暗い杉林に朽ち果てそうな倒木と降り積もる落ち葉に足をとられながら、傾斜の急な斜面をよじ登るようになるからだ。ストックを短くして四つん這いで上る。木をつかみ、木の根方に足をかけて身をもちあげる。木登りだね。

 地形図で方向を見定め登っていくと、スカイラインが見えるようになる。だがまっすぐ上ると大岩がある。右手の方が取付きやすい稜線と思って迂回する。標高差で60メートルくらい、15分程の挑戦に過ぎない。稜線に上がると踏み跡が見える。背の方にも見えるから、登り口が別にあるのかもしれない。

 周助山383mの標識がある。これがシュウズケか。でも、なんだろうシュウズケって。標識をたてたのは「原市場区まちづくり推進委員会」。標識のたたずまいはしっかりしているが、もうずいぶん古びている。ここが飯能市に平成の大合併される前だろうから、2005年以前になるか。いま手元にある「関東道路地図」の十万分の一図をみると、名栗渓谷と「名所」を記した名栗川と名郷方面への道路の北側に「周助山436m」と、山名の記載がある。この標高は、今私がみている地理院地図では「ノボット435.7m」とあるところに違いない。

 妙なことに、今日歩こうとしているルートの標高では、シュウズケやノボットより高いピークがいくつかある。548m、553.4m、505mと標高を記した通過点があるのに、そのピークの山名は、記されていない。地理院地図がどのような命名記載の方針に貫かれているかわからないが、古くからの地元の命名を尊重しているとしたら、シュウズケとかノボットというのが伝統的な地元呼名であり、周助山という掲載名は文字を当てたものなのであろう。あとで分かるが「ノボット」には「登戸」の漢字を当てた標識が立てられていた。

 ノボットを過ぎて標高400mから500mの稜線には、杉林の間伐をした後がいくつも残っていた。中には稜線部分を広く皆伐してしまって、これから植樹でもしようというのか、乱雑に掘り返されたまんまの広場もあった。ずいぶん手入れされている。そうか、ここはあの「西川材」の生産地か。となると、山は地元人の、いわば聖なる仕事場でもある。林立する針葉樹のあいだには、照葉樹の2メートルを超える木々が育っている。周辺の景観は見晴らせない。

 ノボットにスタート後50分ほど。今日の最北端になる548mピークには1時間40分、地点表示はない。ガイドブックには「蕨山、蕎麦粒山の展望がよい」とあったが、木々に邪魔されてよく見えない。雲が厚く張り出してきている。60年配の単独行者がやってくる。ちょうど中間点にちかいのか。ほぼ中間点の歩道林道に出る「仁田山峠」401mには2時間5分。「仁田山峠」の表示は杉の木にビニールで包んだ地点名が巻きつけてあるだけであった。

 林道から再び、地形をみて斜面を上る。冷たい風が吹いてくる。登りはじめの時の気温は、2℃であった。ウィンドブレーカーを着ているのに、暑くはない程度であった。お昼近くなっているのに、風が出て来て、冷たいと感じる。高度計をみていると、気圧が下がってきている。楢抜山553m、11時15分。出発から2時間35分、コースタイムより20分ほど早い。この山の山名表示は、まったくない。ただ三角点があるから山頂だとわかるばかり。この山の登りと降りが急傾斜になっているが、今日の登山口の木登りに較べたらなんということはない。お昼には少し早い。もう少し先まで行こうと踏み出す。急傾斜はすぐに終わり、岩の上りになる。ムツカシクはないが、なるほどここが「天狗積」とガイドブックに記されていたところか。大岩がごろごろとルート上に積みあがっている。その間をくぐるように登り、降る。枯葉が積もっているから滑りやすい。

 505mのピークまで20分位とあったので、調子よく進んでいて、おや? こんなに下るのはヘンじゃないかと高度計をみていて思い、立ち止まってスマホのGPSで現在地を確認する。おやおや、505mピークはとっくに過ぎて、そこで左へ曲がらねばならないのに、直進する尾根を降ってしまっていた。引き返す。戻ってみると、広いピークの左の方の木に「←久林・赤沢*楢抜山・仁田山峠→」と、やはりビニール袋に包んだ表示が掛けられていた。見落としてしまったのだね。引き返したのが11時50分。ここでお昼にする。

 なにしろルートが地図にない。ガイドブックも「読図のトレーニングに良い」と書いてあったのを思い出した。たぶんこの稜線を辿ると思った地点を地図に記しておいて、ときどきGPSで位置確認をして、すすむ。ここからしばらくは踏み跡もしっかりしているが、その先は踏路不明。それに加えて、前日スマホに読みこんだ地図にポイントを打っている途中で、「消息不明であったタイに暮らす友人の音信」が知人に入ったと電話を受けた。それに気をとられて、ポイント作業を最後まで行わずに中断したのだが、スマホの地図は、ポイントを打った辺りで表示が終わり、その先はぼんやりとした画面になってしまっている。GPSの赤い矢印だけがぼやけた画面の上を進んでいる。これでは役に立たない。プリントアウトした地図をみて稜線を辿る。最後の部分が雑木林になっていて、道がない。方角の見当をつけ、降りやすい地点を見つけて木につかまって降りてゆく。小さな沢を渡り、正面の小高い丘を回り込むと赤沢会館があった。その向こうに素戔嗚神社の鳥居がみえた。

 13時18分。歩き始めて4時間38分。コースタイムは4時間20分、お昼を加えると、ほぼコースタイムで歩いたことになる。行き過ぎた分も、ちゃんと取り戻して下山したというわけだ。

 自転車に乗って登山口へ向かう。約3㌔ちょっと。飯能市と名栗村を結ぶ幹線道路だから、車の往来は少なくない。車に折り畳み自転車を積み込み、順調に帰宅した。ちょうど3時。

 オモシロイ山歩きであった。なにより、登山口と下山口の不明瞭さは、ちょうど年末に上った羽賀場山と似ている。あちらも林業の山ではあった。 そして、地元の人は上らないよという声さえ聞いた。ひょっとすると、遊びで上られちゃあいやだから、上り道はつくらないとしてきたのかもしれない。だが林業作業に携わる人たちには必要であるから、稜線に上ると踏み跡はしっかりとついている。そういうものなのかもしれない。登山者は、よそ者であり、余計者なのだね。

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