二度目の「緊急事態宣言」が出された。言うまでもないが、私ら年寄りには「関係」がない。「午後八時以降の外出」「営業時間の短縮」「7割のリモートワーク」「イベントの人数制限」。どれをとっても、直にかかわらない。ということは、年寄りはすでに、不要不急ってことか。
だが緊急事態だなと思う。だって、コロナに感染しても治療を受けられない。引き受け先がない。「とっくに医療崩壊している」とどこかの医師会の代表が話していたし、「治療待機中」の死者にコロナによるものとみられる「不審死」がいたことが報道された。それが、直に身に響いてくる。にもかかわらず、その医療現場の逼迫さが政府当局者の口から広報されない。必要以上に不安をあおらないようにと、弁明は用意されているが、実はこれ、政府が医療整備に関して無策であったことの「エビデンス」だからではないか。
病床数とか人口当たりの医療従事者数は世界においても十指に入ると言われる日本の医療態勢といわれながら、コロナウィルスに対応する態勢になっていないことは、春ころから喧伝されてきた。にもかかわらず、どうして状況対応的に動けないのか。
厚生労働省を中軸にした中央集権的な医療体制が、機能していない。ウィルス感染者の全国集計すらも手作業でやっていると指摘された「文書主義」、保健所を通してしかPCR検査を保険適用で実施できない法的不備、かかりつけ医制度を堅持するがために地域医療のコロナ対応ができる医療機関を制限する結果になってしまったことなどなど、どれをとっても医療体制と法的不備がもたらした人災に近い。コロナウィルス騒ぎが起こってからすでに一年になろうとしているのだ。いったい政府は何をしていたのか。
じつは、政府はコロナ禍対応医療よりも、五輪と経済の停滞に重心を置いた施策に目を奪われてきた。欧米各国に比べてウィルス感染数の広がりが抑えられているという「慢心」があった。財務大臣の「民度発言」もそうだが、人々の自制心に呼びかければ、コロナウィルス対応の社会的整備は整うと考えて、「医療崩壊」に目配りしていない。医師会が「専門家」として訴えてきたにもかかわらず、体制や法の改編整備に腰が重い。中央権力が右往左往してはならないという確固不動の権力観を誇示するがためにか、専門家に耳を傾けて建言を取り入れていく柔軟性を失っている。政府やそのシンクタンクである官僚システムがすでに事態への対応能力を持っていない。
そうしたことの積み重ねが「政治不信」「政府不信」を招いている。庶民は(いつものことながら)自律して自己責任で重大事態の回避をするしかないと思っている。それを「民度が高い」と特異顔する政治家たちは、いうならば「高い民度」に乗っかって胡坐をかいているのだ。
昨年末からの「勝負の三週間」や「真剣勝負の年末年初」を呼び掛けた折の、政治家の「会食」に関する振る舞いを指弾して、「国民のお手本にならない」とマスメディアでは非難しているが、私らは「政治家にお手本になってほしい」などとは、欠片も思わない。お手本なんていうよりも、まず身を挺してこの事態に切りかかってもらいたいのだ。庶民のお手本は、私ら年寄りのように「埒外に身を置く」ことしかない。政治家たちまでがそのように引きこもって身を護っているだけでは、リーダーとしてのお役目が果たせない。
ではリーダーとして、いま、何をしたらいいか。支援者との会合を開いて「意見を聞く」なんて場合じゃないだろう。芸能人やスポーツ界の有名人と会食をして、各界の重要人物から意見を聞くなんてことを言うのも、恥ずかしいだろう。ましてや「会食は感染防止を十分配慮して行われた」なんて言い訳は、ふつうの庶民に戻ってから言えよと、毒づきたいくらいだ。
じつは私ら庶民には、これこれこうするのはおかしいだろうとか、恥ずかしくないのかとか、みっともないぜというような、否定的なものの言い方しかできない。なぜなら、口幅ったい。そもそも口出しするほどの専門領域を持っているわけじゃない。こちらから「提案」するほどの立場も発言のエビデンスももちあわせない。だから、誰彼の振る舞いや言説を媒介させてヤジを飛ばすくらいしかできないのだ。
それは、しかし、ヤジではあっても空言疎語ではない。庶民の切実なる切迫感を根底的に表している。それに見合う、社会のリーダーである方々のアクションは、内実をともなった施策の提起であり、実行である。「政治不信」「政府不信」が蔓延しているなかでの「緊急事態宣言」が内実をともなうには、そうだ、たしかに今、それが必要だと共感を得ることのできる具体的な提起でなくてはならない。
今回のそれは、その内実をともなっているか。甘く見て、唯一それを感じたのは小池都知事の「人の往来を止めることです」という発言だけであった。そういう、感染爆発を抑えることに関する根底的な共感性を呼び起こすメッセージを発することが、「施策」を受け止める根底にある「政治不信」「政府不信」から脱却する第一歩だと思う。
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