2021年1月31日日曜日

山のない暮らし

 今日で1月もおしまい。とうとう埼玉県から一歩も出なかった。去年の昨日(1/30)のこの欄には、奥日光へ行って泊るでスノーシューを愉しんできたことが、記されている。正月と合わせると、奥日光で6日を過ごした。じつは今年も宿を予約していたのだが、12月の「首都圏の緊急事態宣言」で足止めを食らった。今年になって、栃木県もその列に加えられ、ますます行きにくくなった。

 結局今月は2度、県内の日帰りの山に行っただけである。それはそれなりに面白かったのだが、あとはお目当ての日が雨とあって、出足が鈍ってしまった。その代わりと言ってはヘンだが、毎日ご近所を歩くようになった。ただただ歩いているとどんどん忘れてしまう。記録をとると、そのために歩こうとする要素も加勢するのだろうか、おお、今日も行かなくちゃあと、手がけていることをさておいて、抵抗なく家を出ている。

 今日の分を除くことになるが、30日間で456,600歩、327km歩いている。一日平均、15200歩、11km。ほぼ平地では2時間余だが、山の時は5~6時間の行動時間である。一番多い日は、26100歩、19km。一番少ないのは、「0」。なぜだったか忘れたが、1月3日。でも、このペースでは、全行程12000kmの四国八十八カ所巡りを40日ほどで済ませることはできない。傘を差して歩いたのは3日、あとは曇りか晴。温かい陽ざしに包まれていた印象が強い。

 歩数を計算するアプリが、距離をどう図っているのか、わからない。まさか歩数に歩幅を掛けて割り出しているのではないであろう。ひと月の総距離を総歩数で割ると71センチほど。だが山を歩いたときのそれを割ると、74センチになる。平地より山の方が歩幅が広いというのが、なんとなくヘンな感じだが、傾斜があるし、滑り降りたりしているから、その分広くなっているのか。GPSがつかんでいると考えている。山の歩数は、平地の二倍以上の負荷があるというのが実感だ。

 こうして、山へ行かず、ご近所を散歩するのが日課になった。コロナウィルス禍のお土産だが、齢相応に身体が衰えていっていることを考えると、身の程に適った過ごし方かもしれない。山を歩いているときのような(道を間違えてるんじゃないか)という緊張感はない。家を出て1時間余は、どこを歩いているか、どこへ向かっているかにかまわず、遠くへ遠くへとすすむ。1時間を過ぎて初めて、戻ることを考える。街中の、どこにいるかわからなくなると、そこからなにがしかの目安になるものを探して、幹線道路に出る。あるいは、慣れ親しんだ見沼田んぼの用水路に出る。

 ひとつ、日々実感することがある。浦和の町は、古い所と新しいところが入り組んでいる。古い住宅街は、道が細く、かつ屈曲している。路地と呼んでいい、道幅2メートルもない道が、家々の壁の間の暗渠の上を通っている。あるいは人の家の庭と区別のつかないところに出て、そこを抜けると4メートル幅の道路に出たりする。古い家屋の広い前庭には大木も灌木も密生していて、その向こうに畑らしき広さがとってあったりして、昔の田舎家のたたずまいだ。

 かと思うと、つい先ほどまで植栽の養生畑であったと思われる広い土地に8メートル幅の車道と4メートルもある歩道が両側にしつらえられた新興住宅地がぽんと出現して、何百メートルか続く。車道も、まっすぐに貫く様な無粋さを退けて、大きく屈曲する。車が速度を落とさざるを得ないように設計しているのであろう。変貌する浦和のペースが、土地所有者の寿命と遺産相続と土地開発業者の意欲とその土地への転入者の数によって定まってきているように感じる。幹線道路とバス便の多寡が影響しているかもしれない。

 山のない暮らしの予行演習のような日々だが、ま、こうして、コロナウィルスにいい機会を与えられたと思って、しばらくは県内禁足生活を送ることにしている。

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