2021年2月15日月曜日

白川夜船の驚天動地

 昨日(2/14)の朝、5時少し前に起きた。カミサンがTVをつける。

「えっ、昨日だったんだ」と地震のニュースを観ている。

 夜中に「地震がきます。地震がきます」とスマホが叫んでいた。こちらは白河夜船の真っ只中。何度かの叫び声の後にグググッと突き上げるような揺れが続き、あっあっ、十年前もこんな感じだったかな、長いな、どこだろう震源はと思いつつ、でもすぐに寝入ってしまった。深夜かな朝方かなと思っていた。前日の夜11時7分ということは、朝刊に載った短い一面記事で知った。

 起きていた人が多かったせいだろうか、TVの被害状況の画面にも、崩落土砂を片づける復旧作業をする大型重機の手早さにも、驚かされる。ああ、年寄りの暮らし方とは違ったサイクルで世の中は動いているんだと、落差を実感する。

 カミサンは早朝に出かける予定があったから、電車が動いているかをチェックしていたのだ。在来線は動いている。私は、「トランプ弾劾評決、無罪」の、やはりTVニュースが問いかけていることに気持ちが向いてしまった。

 報道される地震の揺れの大きさに、改めて驚く。十年前は部屋でパソコンをいじっていた。本棚が倒れるんじゃないかと思ったから、部屋の入口に立って揺れが収まるのを待った。「おーっと、地震が来た。75分も揺れている」とブログに記録している。余震をふくめて、収まらなかったのであろう。「震度5弱」と、後の報道で知った。昨日の地震もそれと同じであった。横になって寝ていたから、ピンポイントのおぼろな感触だけが残ったのだね。

 被害の模様が映し出される。死者がいなかったというのは、十年前の教訓が生きていたのか、津波がなかったことが幸いしたのだろうか。記憶に残り、身が反応するには、視覚情報が大きな要素を占めていると思う。それらが胸中で再構成されて、「東日本大地震」という総体の印象として身の裡に沈み、ナニカアルと、そのスイッチが押されて身が反応する。身と頭の不思議な相関が「とき」を介在させて浮かび上がる。

 午後、外へ歩きに出る。晴れ渡り、気温も上がっている。長袖一枚で寒くはない。少し風があるが、歩いている分には、むしろ心地よいほどであった。日曜日とあって、いつもより人は出ている。驚天動地の地震の後とは思えない、平穏な休日の風景が広がっている。見沼田んぼの東縁沿いに北へ向かい、ところどころで高台の植栽の培養地に踏み込み、1時間半ほど進む。そこから、見沼田んぼの中を流れる芝川沿いに家へもどる。ほぼ3時間、15km、2万歩を超えた。

 ふと、白川夜船って言葉はどこからきたんだろう、と思う。

 日本国語大辞典を引くと、《①いかにも知っているような顔をすること。知ったかぶり。》とある。そして、こんな説明を加えている。

《京都を見たふりをする人が地名の白川(または舟の通わない谷川の名とも)のことを問われ、、川の名と思って、夜舟で通ったから知らないと答えたという話によるという》

 と。私がつかった「ぐっすり寝込んでいて何が起こったか全く知らないこと」は、②項目目として記されていた。

 ①が②になった経緯も分かると面白いと思った。辞典ではこんな「補注」があった。

《①については……に「世の中の人の見たなどいふは、白川を夜舟にのりたるたぐひならん」のような記述もみられる》

 人口を膾炙する話は、①のようなことであり、受け取る側からみると、②と同じだ、と。つまり、伝聞の情報は、ゆめまぼろしのたぐいと心得よといっている。そう受け取ると、発信する方も、受信する方も、ことのはは、さほどに覚束ないものだといえそうである。今の時代にも通じる。

 しかし、驚天動地があると、あちらこちらから電話がかかってくる。

 だいじょうぶかい?

 ものが倒れたりして大変だったんじゃないかい。

 おおきかったようだね。

 いずれも、報道を見て「動地」を再構成し、気遣いをする。

 いや、お恥ずかしい、白川夜舟でしたよと「ご報告」をし、気遣いへの感謝を伝えている。

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