2021年2月20日土曜日

横紙破りのネットワーク

  昨日のこの欄でホンネとタテマエが折り合いがつかない政治家たちと書いた。しかし、実業世界の人たちも、そうなのだという新聞記事を目にした。一昨日(2/18)の朝日新聞夕刊の「取材考記」。「内部告発者を守らぬ郵政経営陣 責任大きく 信用できぬ通報制度 変えられるか」と見出しをつけている。

 日本郵政の「ある問題」を「通報窓口」に通報した局員に対して、「問題」を指摘された所員の父親である有力局長とその取り巻きが恫喝を加えていたというもの。その事実を(報道で)指摘されても郵政経営陣は「個別事件へのコメントを避け」、「通報」をその有力局長に知らせたコンプライアンス担当役員も、そのままの職にとどまっている。つまり、「通報制度」は表向きだけ。内実は、「通報者」を守るどころか追いつめるために用いられていたという「取材考記」。

 取材し報道した記者も、その現実を知って、「報道」が逆に過酷な現実に加担していると感じて堪らなくなったのであろう。最後をこう締めくくっている。

《全国の郵便局には、通報制度を周知するポスターが貼られている。不正の報告は社員の義務だと強調し、上司に言いにくければ社内外の窓口に知らせるよう求めたうえで、「通報者は保護されます」と書かれていた。むなしく並ぶ言葉を「本物」に変えられるか。いまが最後のチャンスだ。》

 考えてみると、ホンネとタテマエが折り合いがつくとは、タテマエをそれとして使う人は、それがホンネとズレていることを承知している。たとえば、「緊急事態宣言を菅首相は出したくなかった」という井戸端メディアの報道を目にすると、ひょっとするとこの首相は、本気で人々が耳順(耳従う)というか、素直に賛意を表して、率先してコロナ自粛に務めてくれるという「民度の高い」「美しい国を」イメージしているのかもしれない。だから逆に、入院とか自宅待機ということに従わない者は「罰金・処罰」をもって統治しなければならない(犯罪者同然)と考えるのか。そう考えると、腑に落ちる。鉄面皮とか、いけしゃあしゃあとウソをつくというのではなく、統治とはそういうものでなくてはならないと毅然としているつもりなのだろう。前首相の応答口調が自信に溢れていたのが、よりそう思わせる。

 もっとも日本郵政という組織が、お役所仕事の延長上のような様相を呈しているとみることもできなくはない。では、民間企業は上記のような対応をしないかというと、そうでもない。そもそも「内部通報制度」とか、「コンプライアンス」という経営の手法は、企業経営の「透明化」のために欧米から移入されてきた考え方である。受け容れる企業としては、伝統的な経営体質をそのままにして、外見だけ、つまり装いを変えているだけで、内実まで変わったわけではない。そう、森喜朗前会長の発言同様で、ご本人は何が悪かったのか見当もつかない。ただ、IOCが態度を豹変し、日本の関係筋も手のひらを返すように批判的に振る舞うようになった。そう思っている。頭じゃなくて、体が覚えてきたことを素直に表現して、それが非難されたからと言って、そう簡単に人って変われるもんじゃないよと思う。森喜朗の取り巻きたちも、じつは、それほど変わり映えのしないセンスで日ごろを過ごしているのだ。

 となると、企業経営者が打ち出す「タテマエ」すら疑ってかからねばならない。力のない平場の社員としては、忖度に忖度を重ねて這い上がっていくか、面従腹背っていうような陰湿な振る舞いに神経を擦り減らせて世渡りを続けるか、そのいずれかしかないのか。そうであってはなるまい、というのが上記取材記者の肚の底にある。

 この記者は「今が最後のチャンスだ」と記す。これは、どういう意味であろうか。

 推察するに、現下の情報化社会の通信メディアの広がりと(全国民的な)井戸端の目を動員すれば、古い体質の企業守護者たちの弁えない振る舞いは、容易に表面化してしまう。つまり、(これまでの従順な社員たちも)面従腹背などという陰湿な世界に身をやつすよりは、情報網を駆使して「横紙破り」をやることになる。もうそういう事態になってきているよ、(経営者としては)悔い改めよ、「最後のチャンスだよ」と、古い体質の守護者たちに呼びかけているように思える。

 むしろそう呼びかけるよりも、「内部事情を通報するオープンなネットワーク」を作って、経営陣にその改善を期待するのではなく、公開の場でその「通報された内部事情」をどうやって改善して行ったらいいか、やりとりしてはどうだろうか。私には到底できないが、今の若い人たちの持っているネット技術からすると、そういうサイトを立ち上げ、(一人の身ではどうにもならない)世の中の不正を皆さんで考えて、質すべきは質す、正すべきは正していくという仕組みを作れないか。いまは「文春砲」という井戸端メディアがその一端を担っているようにみえるが、単なる商業誌に頼ることなく、「横紙破りネット」(困った問題通報ネット)を起ち上げてもらえないかと、いますっかり「現場」なるものから遠のいている私は、願っている。

 良いとか悪いとか、ひと口に決めつけないで、その「現場」の「困った問題」をどうしたらいいか、私らが暮らす社会の問題として改善していくことを考える。それこそが、ホンネとタテマエに代わる、新しい社会規範を思案して作り出す「民主主義」の作法じゃないか。

 そんなことを考えさせてくれた「取材考記」であった。

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