2021年2月5日金曜日

超モダーン・システムに適応する人々

 東京に、春一番が吹いたそうな。2/5、一面青空の晴。自転車に乗って9km先にある、さいたま日赤病院へ行った。この病院、2014年に弟が亡くなったときは、国道17号沿いにあった。駅から遠く不便であったが、いつであったか現在の、新都心駅のすぐ脇に移転した。もちろん電車で行けば、駅から徒歩3分だからアクセスがいいと評判だったが、これまでご縁がなかった。

 先日、ご近所のかかりつけ医でホルター心電図をつけたとご報告した。24時間の心電図を計測した。やはり昼間は2秒ほどの空白が生じている。不整脈だ。夜寝ているときには、その空白が4秒になっている。気分が悪くなったりしないかと問われ、別に~と応じると、不整脈の専門医がいるから診てもらいましょうかと、日赤を紹介されたというわけ。

 でも電車に乗るのがいやだなあと調べてみたら、わが家から何と9kmの距離。なんだ、これなら自転車で行ける。そして晴れわたる街。セーター一枚。午後北風に変わると聞いていたので、ウィンドブレーカーを持参したが、使わなかった。

 第二産業道路を外れ、浦和西高校近くの住宅街を抜けて、新都心駅に近づき、駅北側の地下道をくぐると、日赤病院の脇にぽんと出る。のんびり走って40分足らずであった。

 驚いたのは、患者の数。最初入ったビルは静かであった。と思っていると、そこは小児科病棟。案内係の人に、ご本人ですかと聞かれ、ハイそうですと応じたら、出口の向こうにある建物を指さして、別棟へ案内された。受付の2階フロアも、3階も1階も人で一杯。これは「密」だ。9時10分。

 「総合案内」で手続きの仕方を教わると、あとはほとんど口を利かないも済む。「診察券」ができると、一緒に渡された書類の記載にしたがって、3階の検査へ、1階の検査へ、再び3階の診察室で医師に診てもらい、2階の会計処理へとすすむ。大きく表示された番号に従い、それぞれの部屋の中の検査処理室の入口に表示される呼び出し番号にしたがって検査を受ける。その結果は、たぶんデジタル送信されて医師の元に届けられ、診察の資料として使われている。

 では、全くデジタルまかせかというと、そうではない。看護師やスタッフが声をかけ、何百人という、40科に及ぶ患者が右往左往しなくても済むように手際がいい。想定通りに運ばない人がいることを、十分組みこんで、人の言葉と動きがうまく作用している。15階建てほどもあるビルの5階分を検査と診療につかい、上部に入院加療の病室を配置したつくりは、ごった返すのではなく整然と「密」であった。座る場所もないところが、過剰な治療と期待感を湛えている。車椅子の患者もいるが、その方たちの通行が塞がれるようなことはない。入院している方と思われるパジャマ姿の患者もいる。

 そのように「密」な状態であるのに、検査治療を待つ人たちは、まことに整然と静かであり、何をどうして良いかうろたえている様子は、ない。つまりこれは、これほど過剰な患者を抱えた大病院のシステムが、見事に働いていることをしめしている。また、ここにかかる患者の人たちが、私をふくめて、見事に適応していることを表している。座る椅子が足りないということを除いて、設計段階から、人の動線を組みこみ、デジタル機能を駆使して、遅滞なきように、また渋滞を起さないようにデザインするのは、大変なことではないか。

 9時10分に病院に着き、会計を終えて病院を出たのは13時少し前。滞在時間は3時間50分ほどになる。医師の診察時間は5分ほどではなかったか。運動中の心電図をとることを予約し、その結果を聞くための予約も一月後に組み込んで、私の診察は終わった。すぐにモンダイになるようなことはなかろうが、念のための検査ですと、医師は口にした。初診だからということもあるが、別にそれで文句をいうつもりはない。医師とのやりとりをプリントにした文書をもらって、次回来院の際の注意を高等で受けて、短時間にそれだけのことが処理されていく工程に目を瞠った。超モダーンな病院のシステムに驚嘆しながら、デジタルとアナログの混在する、人の動きを組みこんだ仕組みの組み立てにひとしきり感心したのであった。

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