2021年2月25日木曜日

春らしい散歩道――顔振峠と越上山

 日高町の日和田山から北の横瀬町丸山へ連なる山並みの中央部運にある顔振峠を抜ける足慣らしに行きませんかと、山の会の人たちに声を掛けた。緊急事態宣言下、県知事が県境を越えないでと呼びかけているのに応えて、今年初めから週1の山歩きを県内に絞って歩いている。東吾野駅に車をおいて、ユガテを経て稜線に上がり、一本杉峠、越上山、顔振峠、傘杉峠、関八州見晴台を経て西吾野駅に下るルートを歩く予定にしていた。東吾野駅の駐車場は、「事前予約制」。前日に電話を入れればいいだろうと思っていたら、「休日・祭日は受け付けていません」というのにぶつかってしまった。2/23は去年から休日になってしまったのを、すっかり忘れていたのだ。他の参加者はいないから、歩くコースを変えた。

 そこで昨日(2/24)は、黒山三滝から傘杉峠に登り稜線を南へ向かう。顔振峠から越上山を経て、一本杉峠から鼻曲山に近寄ってから黒山の方へ下山するという周回コースに変えた。東吾野からの行程を知った山の会のkwmさんが最近歩いたコースとして紹介してくれたのだ。4時間25分の行程。

 朝陽の差し込まない黒山三滝入口の越生町営無料駐車場には、1台車が止まっていただけ。8時半、歩き始める。黒山三滝は観光地。古くからの食堂などが軒を連ねる。ヤマメやイワナの養殖もしているのか、「三滝へ行く前に予約して帰りに焼き上がりを召し上がれ」と手書きの看板が据えられている。滝の水量は少なくはない。雪があるわけでもないのに、この水は何処から来ているのだろう。

 登山道に入るところに「この先崩落個所があるので入山しないでください。越生町産業観光課」の掲示を吊るした紐が張ってある。えっ? じゃあどこを通ればいいんだと、見廻すが他に通る道はない。お役所仕事だ。こうやって注意書きをしてあるんだから、事故があっても町には責任はありませんよと言い訳をしている。こういうことをやるから、人々はますます行政を信用しなくなる。もし書くなら「崩落個所があります。修理ができていません。自己責任で注意して入山してください」とでも書けばいい。

 実際、沢を何回か渡り返す箇所が何カ所か荒れてはいる。通れないほどではない。一カ所、沢の上の方の左岸が崩れて、ここは通行不能になっている。古いルートが左岸にあったのかもしれない。しかし今は右岸に踏み跡がしっかりついている。ハシゴも掛けてあるから、おととしの台風のせいというよりも、もっと前の崩落かもしれない。

 意外だったのは、1時間で傘杉峠にでたこと。コースタイムでは2時間のはず。どうしたことだ。南北に走る舗装車道に、ゴミ収集車がやってくる。傍らの看板には「大火に悩まされた江戸へ木材を供給するため造林を行い、江戸の西の方の川から運ばれてくるので西川材と呼ばれた」と説明している。そう言えば今、青梅や足利で山火事が燃え盛っているんじゃなかったか。

 すぐに舗装車道を離れて、山道に入る。いかにも奥武蔵の山道らしく、岩と木の根が剥き出しになって凸凹している。標高622m地点に着く。地点表示はない。スマホのGPSがポイントを示している。今日の標高最高地点だ。5分ほどでまた、舗装車道に出る。道の脇下に立派な建物がある。洋食のレストランらしい。「本日休業」と道路に掲示板が置いてある。おっ、富士山が見える。手前の奥多摩の山並みの向こうから、でえだらぼっちのように頭を出して、陽ざしに輝いている。そうか、今日は風が強いからきれいに見えるんだ。

 大きな桜の木が3本、斜面に並び、花を咲かせている。いまが満開と言ってもいいような綻びようだ。日当たりのいい南西斜面だからか。わが家のご近所にある公園のカワヅザクラほど色が濃くない。早いねえと目を道下に転ずると、白梅がこれも勢いがよい。前方の家の壁には「平九郎茶屋」と大書してある。ああ、ここが、今流行りの「渋沢栄一」と縁のあった渋沢平九郎由来の茶屋か。顔振峠だ。10時。

 茶屋の女将が店の前を掃除している。なんでも150年前頃に飯能戦争と呼ばれる幕府軍の残党と薩長軍との衝突があり、幕府軍の渋沢平九郎が逃げてきて、ここの茶屋で一休みしたという話。へえ、その頃からここで茶屋をやってたの? と訊くと、私より少し年上に見える女将は、この地の生まれ育ち。高祖母に当たるのであろうか、おばあちゃんが、この平九郎さんと言葉を交わし、この前の道を下って黒川で自刃した。それで、そのころから誰いうともなく「平九郎茶屋」って呼ぶようになった。そう、TVのひとがきてね、大騒ぎでした。ええ、ええ、この幟旗は平九郎さんゆかりの方がつくってくださったんですよ、と笑う。黒川へ抜ける峠道も荒れててね、治してくれと頼んできたけど、ほら、この車道があるからと構ってもらえなかったと、残念そうであった。いかに、江戸へ供給する材木の切り出しで人の往来が多かったかを思わせる。「賊軍」の侍の名を冠するのを公にするには、だいぶ年月が経たねばならなかったであろうに。だがいま、茶屋の前には新しい立派な石碑が茶屋の女将の名で建てられ、渋沢平九郎の関わる「飯能戦争」のことが記されている。一挙に名士になっちゃった平九郎さん。NHKの大河ドラマが、日陰から引き出してくれたってわけだ。

 この先で、コープのデリバリーをしている車が止まっていて、高台上の家から発泡スチロールの荷物の空き箱を担いで降りてきた若い人がいた。「こんなところへも配達するの?」と声をかけると、「ハイ、週に1回ですけど、配達しています」と応えてくれた。たいへんだねえ、ご苦労様。

 10分ほど先で車道と分かれ、山道に入る。杉林が手入れされて続き、木漏れ日が差し込んで心地よい。「天神社」と表示した小さな祠の先に、大きな社がある。観ると枕木は5本、千木の先端は垂直に断ち切られ、ちょうど伊勢神宮の外宮の趣。「諏訪大神」と扁額に記す正面にまわると拝殿の脇に「参拝なさる時はマスクを着用してください」と掲示してある。いかにもコロナ禍の神社だ。私は裏手から境内に入り込んだ格好だね。拝殿から石段を下って鳥居をくぐると、広い広場があり、その階のところから、山道へまた入る。

 小さな板に「ここは500m、スカイツリーは634m。今日は見えるかな」と書いてある。おや、ここから見えるのかと杉の林の、ずうっと向こうに目をやる。おお、見える、見える。新宿の林立する高層ビルの左の方に、より高く、すっくと細身をみせているのはスカイツリーだ。ここは風当たりがないが、風が強くて良かったねえと、青梅・足利の山火事のことを忘れて喜ぶ。

 ユガテへの道と分かれて越上山566mに向かう。大きな岩が積み重なるルートを越えると、山頂。木々に囲まれ展望はない。抜ける道もない。引き返す。ふたたびユガテへの道をたどる。このルートから一本杉峠への道がメイン踏路に記されていない。地理院地図の屈曲の分岐点に注意しながらすすむと、標識がおいてあった。「鼻曲山」は地図にあるが、「桂木観音」がどこにあるのかわからない。下山地の「笹郷」への分岐がわかるかどうか心配であった。一本杉は大きな木であったが、手入れはされておらず、樹の下の方の枝がにょきにょきと自己主張している。

 一本杉から10分ほどで「←黒川・鼻曲山↑・一本杉峠→」の表示看板があった。鼻曲山はルートの北に位置している。その山が見えるところまでいってみようと脚を延ばす。「これより先 岩場危険」と表示看板があり、大きな岩が立ち塞がる。面白そうな道だ。岩の向こうへ乗越してみる。さらに岩が積み重なる細い尾根がつづき、まったく眺望はない。引き返していると、一人登山者がやってくる。聞くと鼻曲山から向こうへ抜けるという。私が笹郷へ下ろうと思っていると話すと、分岐があって、その先沢に沿って降るが、道が不明瞭だから気を付けてという。地元の人か。この地のことをよく知っている様子だ。

 先ほどの分岐に戻り、下りにかかる。なるほど、草が繁茂し、折れた木の小枝が踏路を塞ぎ、歩きにくい。だが、5分も行くと舗装林道に出た。地図ではこの先、舗装林道を歩くほかに道はない。ストックをたたみ、人も車も通らない静かな林道を下る。やがて顔振峠から下ってくる車道に合流し、黒川へ向かう。「木曾の合掌造り100m先左」と書いた木柱があった。なるほどそれらしき建物が、少し下ったところにある。さらに途中に「渋沢平九郎自決の地」と、これまた新しい石柱が建つ。傍らに平九郎の系図を書き記した吊り書きが添えてある。これもNHK効果か。

 12時25分、出発点の駐車場に着く。トイレの脇に看板があるのに気づいた。「渋沢平九郎」と表題をつけたそれには、「飯能戦争」のこと、「彰義隊から分かれた振武軍の副将・渋沢平九郎」とあり、渋沢栄一の養子であったと書き添えている。「環境省・埼玉県」という掲示責任の記載が、ちょっと妙な感じがするが、これも、NHK効果なのかどうか。

 今日のコース・タイムは4時間25分。鼻曲山ルートへの寄り道に往復20分ほど費やしたから、それを差し引くと、3時間40分ほどで歩いている。冷えこむと言われながら、ウィンドブレーカーのいらない山行、まさに春らしい散歩道を歩いた。お昼は車の中で済ませて、そそくさと帰った。2時には家についていた。

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